12月27日付 読売新聞編集手帳
呉王が兵法家の孫子を宮廷に招き、
寵愛(ちょうあい)する女たちを兵士に見立てて訓練するよう頼んだ。
皆、
ふざけて指揮に従わない。
孫子は隊長役の美女を処罰しようとした。
呉王は懇請した。
用兵の見事さは分かったから罰しないでくれ。
孫子はこれを拒絶した。
〈将、軍に在(あ)らば君命も受けざる所有り〉(史記列伝)。
ひとたび出陣すれば、
君命でもお受けできないことがあります――
実戦を担う将軍の責任と権限の厳しさを述べた言葉として知られる。
震災翌日の3月12日、
福島第一原子力発電所の吉田昌郎所長(当時)も同じ心境であったらしい。
政府の「事故調査・検証委員会」中間報告によれば、
海水注入を中断せよ、
という官邸発の危険極まる不適切な“君命”を、
所長は自分の責任で無視しようと心に決める。
「これから私は海水注入の中断を指示するが、
絶対に従うな。
注水は続けろ」と小さな声で担当者に厳命し、
大きな声で注水中断を告げた。
戦場の声を汲(く)み取ってもらえぬ将軍の苦肉の演技がなければ、
被害はどれほど広がっていたか。
政治主導、
上意下達に凝り固まった“菅氏の兵法”の罪深さよ。