日暮しの種 

経済やら芸能やらスポーツやら
お勉強いたします

霧笛を聞きながら

2011-12-31 21:50:52 | 編集手帳



  12月31日付 読売新聞編集手帳


  波止場のある町で育ったので、
  一句がまとう夜の匂いが懐かしい。
  〈バーテンは霧笛の船の名を知れり〉(富岡桐人(とうじん))。
  俳人が女優安奈淳さんの父君であることを、
  安奈さんの随筆で知った。

  子供の頃は酒場にまだ縁がなく、
  船の名を教えてくれるバーテンさんの知り合いもいなかったが、
  霧笛には思い出がある。
  大みそかの夜、
  日付が変わると同時に停泊中の船から一斉に鳴り出す霧笛は、
  埠頭(ふとう)のそばにお住まいの方にはおなじみだろう。

  静寂に余韻のしみ入る除夜の鐘も味わい深いが、
  今年は何十年かぶりで除夜の霧笛に心をひかれている。
  安否を尋ね合っては涙し、
  無事を知らせ合っては涙した年の終わりには、
  哀調を帯びて呼び交わす霧笛が似合うかも知れない。
  〈われわれは後ろ向きに未来へ入ってゆく〉。
  あたかも行く手に背を向けてボートを漕(こ)ぐように。
  詩人バレリーの言葉という。
  人が見ることのできる景色は過去と現在だけである。
  あの日、
  あの朝、
  すぐ後ろに何が待っているか、
  誰も知らなかった。

  忘れたいものと、
  忘れてはいけないものと、
  心に重い船荷を載せた今年の航海も、
  じきに終わる。
コメント