8月30日 編集手帳
日本人の母を持ち、
幼少期を奈良で過ごした。
だから日本人にあまり過酷なことはしないだろう。
ダグラス・マッカーサーに関するそんな「流言」を終戦直後の警察が記録している。
川島高峰著『敗戦』(読売新聞社、
1998年 刊)で知った。
連合国軍最高司令官を巡る根拠のない話は、
様々に形を変えて流れていたらしい。
祖母や乳母が日本人という説もあったそうだ。
8月の終わりが近い。
手元の現代史年表に、
70年前のこの月30日の出来事として記されるのは、
マッカーサーの厚木飛行場到着である。
サングラスとコーンパイプが印象的 な写真をいま見ても、
日本人との血縁を思わせるものは何もない。
敵国の指揮官だった人物を最高権力者として迎えた時、
濃密な縁が元々あったとでも考えなければ、
日本人として心の折り合いがつかなかったということか。
ともかくも、
こうして始まった占領下に戦後日本の原型ができた。
日米の交戦の事実すら知らない若者がいると聞く。
それが本当なら、
マッカーサーのことなどなおさら知るまい。
その時代の教訓がある。
語り継ぐべき「70年」は8月の先にもある。