9月7日 おはよう日本
旧盆が明けた8月29日
沖縄嘉手納町の大通りにエイサー太鼓の音が響いた。
披露されたのは嘉手納町の千原(せんばる)地区に伝わるエイサー。
空手の型を取り入れた勇壮な舞は
150年以上前からほとんど形を変えていないという。
しかし現在の町の中に千原という地名は存在しない。
戦前の千原集落は54世帯が暮らすのどかな農村だった。
集落の中心にあった祠。
地域の伝統行事やエイサーの奉納が行われる住民たちの心のよりどころだった。
70年前 千原地区はアメリカ軍に集落ごと接収され
極東最大のアメリカ空軍基地へと姿を変えた。
散り散りになった千原の人々。
住民同士の絆だけは繋ぎ止めたいと復活させたのがエイサーだった。
いま踊り手の中心は若い世代である。
毎年 この時期に合わせ各地から集まる。
踊り手の1人 花城洸陽さん(20)はエイサーの復活に尽力した祖父や
幼いころに亡くなった父の話を踊り手仲間から聞かされてきた。
エイサーを通じて人々の絆の深さを実感したと言う。
(花城洸陽さん)
「エイサー無かったら誰とも接することなかったですよね。
父親は怖い人っていうイメージしかなかったんですけど
でも千原の人の話を聞くと親切にエイサーを教えてもらったとか
そういう人だったというのは千原で教えてもらうっていうか。」
千原の先輩たちが練習を指導した。
踊りとともにふるさとの歴史を受け継いでいってほしいと花城さんたちに語りかけた。
「みんなのおじいちゃんおばあちゃん、祖先から一緒に踊っていると
このエイサーを先輩から受け継いだものを守っていかないといけないので
一生懸命やりましょう。」
旧盆のエイサーを翌日に控えた28日
かつて千原地区があった基地のフェンス沿いを歩いた。
フェンスの向こうに広がる光景を前に
花城さんは故郷がたどった歴史の重みを感じていた。
(花城洸陽さん)
「どうやらここが僕のふるさとらしいと考えるとびっくりです。
千原エイサーを継承するなかにそういう思いを受け継ぐというのが重要な課題になってくるんじゃないか。
ここに来て初めて思いました。」
そして迎えた当日。
向かったのは戦後に場所を移して再建された祠。
先人への感謝を込めてエイサーを奉納した。
深夜まで続いたエイサー。
花城さんの胸にこみ上げてきたものは
ふるさとの歩みを後世に伝え残していく決意だった。
(花城洸陽さん)
「先輩たちに支えられて1回1回エイサーを躍らせてもらえる。
土地はもう僕らの手元に無いですけど
気持ちとか絆っていう部分をこれからもずっと継承していくことがやっぱり大事だと思います。」