9月18日 編集手帳
戦争に触れた文章をつづるたび、
その少年に読んで聞かせる。
感想が返ってくることはないが、
いつしか身についた習わしである。
少年は13歳のとき、
広島で被爆した。
枕もとの父親に二つの問いかけを残して息を引き取ったという。
〈お浄土には羊羹(ようかん)が あるの?
…お浄土には戦争はないね〉。
父親の山本康夫さんが『皮膚のない裸群』という哀切な詩に書き留めている(太平出版社『日本原爆詩集』所収)
少年に読んで聞かせるのは、
彼の目に触れても後ろめたくない記事であるのを確かめたいからで、
まあ、
自己満足の儀式にすぎない。
安全保障関連法案を取り上げるときもそうしている。
かわいい子や孫を、
甥(おい)や姪(めい)を戦場に送りたいと願う日本人がどこにいる。
一人も、
ただの一人もいまい。
「戦争反対」は廃案を望む人々の専売特許ではなく、
小欄を含めて法案に理解を寄せる人々だってバリバリの戦争反対派である。
日米同盟をより緊密にすることで戦争の芽を遠ざけようとする法案に“戦争法案”の汚名を着せ、
実りある議論に水を差したのは誰だろう。
天国の少年よ。
日本の明日を悲観するなかれ。