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ウラジオストク 右ハンドルが走る街

2019-12-15 07:00:00 | 報道/ニュース

11月18日 NHKBS1「キャッチ!世界のトップニュース」


ロシア極東に位置するウラジオストクは人口60万余の貿易が盛んな港町である。
坂道が多く
公共交通機関があまり発達していないため
移動手段の主役は車である。
ソビエト崩壊後には日本との貿易の窓口となったことで日本の中古車が急速に普及した。

ウラジオストクのヨーロッパ風の街並みを走る車の9割近くが日本車である。
その多くは日本から輸入された中古車。
日本車の安全性能や快適さへの信頼は高く
ロシアの国産車より価格は割高だが人気を集めてきた。
車は右側通行だが
多くのドライバーは右ハンドルのまま走っている。
(市民)
「右ハンドルなので追い越しは難しいですが
 もう慣れました。
 この町では心臓は「左側」でハンドルは「右側」です。」
右側のハンドルで教習を受けることが出来る自動車教習所。
ロシアの教習所は通常は左ハンドルだが
ウラジオストクでは日本の中古車を購入する人があまりにも多いため
特別に右ハンドルの講習も行っていて多くの人が受講している。
(教習生)
「右ハンドルの車を買ったからです。
 祖父も父もみな右ハンドルで運転していて
 遺伝のようなものです。」
日本の中古車が集まるロシア極東最大の市場がウラジオストク郊外にある。
小高い丘の上にある“グリーンコーナー”と呼ばれる一帯である。
東京ドーム約3個分の広さに数千台の車。
そのほとんどが日本から輸入された中古車だということである。
この一角で16年にわたって販売を続けてきたシュルジェンコさん。
現在店では約100代の日本車を取り扱っている。
10年前までは週に20台売れた時もあったが
今では1台売れるかどうかと状況が一変したという。
(中古車販売店 シュルジェンコさん)
「価格は150万円ですが
 ほぼ半分が税金です。
 普通ではないです。」
ロシア政府は国内の自動車産業を優遇しようと
日本の中古車に輸入関税の引き上げや使用の制限などを繰り返し課してきた。
(中古車販売店 シュルジェンコさん)
「規制が続くと考えたくない。
 仕事を失うかもしれません。」
日本の中古車への風当たりが強くなるなか
右ハンドルを見つめ続けた人がいる。
作家のワシリー・アフチェンコさん(39)。
アフチェンコさんが子どもだった1980年代
日本から中古車の輸入が始まり
ウラジオストク市民の文化や政治まで大きな影響を与えた。
アフチェンコさんも
多様な形で美しく
移動する技術に優れた日本車の魅力にひかれていった。
23才で免許を取得してからは右ハンドルの日本車を11台乗り換えてきた。
そして2009年には
「右ハンドル」というタイトルで小説を執筆。
右ハンドルの日本車をヤポンカ(日本の娘)に例えたりするなどして
日本車の魅力や代わっていく環境の変化を描いた。
(小説家 ワシリー・アフチェンコさん)
「恋をした気分です。
 日本車に乗ることで新しい世界を見つけました。
 右ハンドルは我々の人生なので
 記録に残そうと思ったのです。」
この日アフチェンコさんは中古車を探しにグリーンコーナーに向かった。
(作家 ワシリー・アフチェンコさん)
「この辺りも車があってもっと賑やかでしたね。」
市場にはブリッド車や電気自動車も並んでいて
アフチェンコさんも真剣に見ていた。
「タンクは2つですね。」
「そうです。」
「ハイブリッド専用ですね。」
「はい 電気でも動きます。」
ピークを過ぎた日本の中古車市場を憂う一方
アフチェンコさんは
右ハンドルがあったからこそ
日本食や日本製品などがウラジオストクで広がりつつあると考えている。
(作家 ワシリー・アフチェンコさん)
「完全に寂しい状況ではないです。
 日本車は減ったかもしれませんが今でも多くのファンがいます。
 車種ごとに愛称がつけられていて
 私たちの文化に溶け込んでいます。」
アフチェンコさんの小説の一分にはこうある。
彼(日本人)よりも私の方が君を愛している。
君とは長いこと一緒だけど
これからも同じように毎日君が必要だ。

 

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