能登半島では、地震から1ヶ月がたち、学校の授業が再開されても、子どもたちが受けた恐怖や心の傷は深刻だと思います。
「また地震がくるかもしれない」という不安や恐怖は、元旦の激震を思い出させ、無理もないことだと思います。
わたしも阪神淡路大震災の1月17日の揺れの凄まじさは、体の中に染み込んでおり、30年近く経った今でも、忘れることはありません。
まして、子どもたちです。学校には元気そうに登校していても、心に深い傷を負っている子が多いでしょう。
とくに肉親を失った子は、格別の見守りと配慮が求められます。
そんなとき、子どもたちに「地震の体験を乗り越えて」と期待するのは難しいことです。
人は大きな悲しみを乗り越えることなんてできないと、わたしは思っています。子どもだけでなく大人も同様です。
人は大きく、深い悲しみとずっとつきあっていかざるをえないのです。
その悲しみに打ちひしがれていても、それでもやはり、前を向いて一歩を踏み出そうとするのです。
それができるのも、傍に寄り添って、心配して、悲しみを共感してくれる人がいてこそです。
学校の教師は、そのまず第一の人であって欲しいと願っています。
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