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わたしもこの年齢になると、いろいろ考えたり、しみじみと実感したりすることが増えてきました。
そのうちの一つが、恋と愛のちがいです。
恋は、初恋に代表されるように淡いものです。
時には、相手に対する憧れのような気持ちが混じっていることもあります。
また、恋は失恋という言葉が表すように、はかないものであるとも考えることができます。
一方、愛については、その言葉を曲名に使った楽曲は数えきれないほどあります。
そのうちの一つに1990年にリリースされたKANの『愛は勝つ』を、思いおこしてみます。
以前に、自分がいちばん好きなナンバーがこの曲であると、中学生が言っていたことがありました。
この曲が発表されて、20年後のことでしたので、その子が生まれる前の曲でした。
それでも、どこか中学生を惹きつける魅力があったのでしょう。
その歌詞は、「夜空に流星をみつけるたびに 願いをたくし ぼくらはやってきた どんなに困難でくじけそうでも 信じることさ 必ず最後に愛は勝つ」というポジティブなモノでした。
この歌詞から愛とは何かを考えると、「愛は貫くもの」となります。
中学生も3年生ぐらいになると、カップルができます。
その歌詞は、「夜空に流星をみつけるたびに 願いをたくし ぼくらはやってきた どんなに困難でくじけそうでも 信じることさ 必ず最後に愛は勝つ」というポジティブなモノでした。
この歌詞から愛とは何かを考えると、「愛は貫くもの」となります。
中学生も3年生ぐらいになると、カップルができます。
ときどき二人で下校している光景を見ることがあります。さわやかなひとときです。
これは、恋といえるのかもしれません。
これは、恋といえるのかもしれません。
しかし、長年夫婦として暮らしてきたパートナーなら、相手の良い点も、良くない点も見えてきて、その狭間の中で行ったり来たりしながら毎日を過ごしていきます。
もはや、相手へのときめきや憧れなど起こりません。
でも、日常を通して相手のことで喜んだり、腹を立てたりしながらも、お互いに離れられない存在として、人生のよき伴侶としての絆を深めていく。
その絆を深めるには、年数がかかります。行ったり来たりしながらパートナーへの道を貫いていく。
ゆえに、一つの表現ですが、「恋はときめくもの、愛は貫くもの」という表現は的を得ていると思います。
その絆を深めるには、年数がかかります。行ったり来たりしながらパートナーへの道を貫いていく。
ゆえに、一つの表現ですが、「恋はときめくもの、愛は貫くもの」という表現は的を得ていると思います。
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