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ここ数年のAIの進化には目をみはるものがあります。
すでに2023年の夏休みの課題(宿題)をAIを使い仕上げた生徒がいます。
それは、読書感想文や美術の作品をAIで作ったのです。
AIを使えば、かなり完成度の高い優れたものに仕上がります。
こうなると、学校教育でのとくに生成AIの使い方には、何らかの規制が必要になってくるという主張・考え方は現実味を帯びてきます。
また、生成AIをめぐる不安や心配・懸念は学校教育で児童生徒がどう活用するかという問題にとどまらず、プロのアーティストに大きく関係してきます。
すでに、ネット上にはAIで作った曲が発表されています。
また、AIで作ったモデルさんのような女子がSNSにあげられ、作者は「いいね」を求めます。
これからの作品づくりは、いったいどうなっていくのでしょうか?
作詞家や作曲家、画家などのアーティストは存在できなくなるのでしょうか。
小説家の存在意義も薄れていくのでしょうか。
現状では、生成AIはアーティストがその才能を発揮して労力をかけ努力する活動を否定するという主張があります。
極論すれば、創作者やクリエーターは必要なくなる。
このことに危機感を募らせる人たちがいます。
もっともだと、思います。
ただ、創作者の中には、作品づくりの過程に生成AIを取り入れることで、表現の幅を広げることができるとか、効率的に仕上げることができると考える人もいます。
アーティストやクリエーターは今後残っていくにしても、創作活動は今まで全体数からすれば数少ないプロの人たちに委ねられていたのですが、生成AIにより多くの人びとが創作活動に関わることができる可能性を開いていくことになると思われます。
プロの世界ではそのように賛否があります。
しかし、こと学校教育に関して言うならば、児童生徒は発達途上にあり、作品づくりや創作活動の基礎を学ぶきっかけになるという性格からすれば、生成AIの活用を制限するのは合理性があると思われます。
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