わたしは13年前、鹿児島県の知覧特攻平和会館へ行きました。
第二次世界大戦末期には、知覧に特攻隊の基地がありました。
特攻の飛行機は片翼に燃料、反対側の翼に爆弾を積み、沖縄付近にいたアメリカの艦隊に体当たりしました。
特攻隊の隊員は出撃までの限られた日を知覧で過ごしました。
若い人ばかりで構成された特攻隊は、出撃すると二度と帰ってくることはなかったのでした。
誰もが悲しい思いをしながら、見送るしかなかったのでした。
当時の知覧には、「特攻の母」と呼ばれた鳥濱トメさんがいました。
富屋食堂で特攻隊員のお母さんがわりになって旅立つ隊員の思いを聴きました。
明日飛立つ若者には、食べたいものを料理をして出しました。
手紙(遺書)を彼らから直接預かり、 家族の元へ届けました。
トメさんは1992年、89歳でなくなりました。
出撃した特攻隊員の胸中はいかほどのものだったでしょうか。
見送る人はただ見送ることしかできなかった。
みんなが悲しい思いをしなければならない歴史は二度と繰り返してはならない。平和会館を訪れわたしは強く思いました。
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