学日本の学校では、学級づくりでしばしば「団結」が大事にされてきました。
クラスの団結などは、いまの保護者世代の人は当たり前のようなクラスの標語として使われたことだと思います。
2011年以降では、「絆」というキーワードがもてはやされるようなりました。
いまでは学校では、学校の目標や学級の目標にも取り入れられています。
わたしは、団結や絆という価値観を否定するつもりはありません。
しかし、学級担任や学校の教員は、違った意味でこれらの言葉を使い、学校づくりやがづくりに傾注してほしいと願っています。
その意味とは、生徒同士のちがいやさまざまな特性を受け入れて、ちがいを認め合い、それでもつながりあっている集団として、団結や絆を求めていくという意味です。
つまり、学級担任は生徒がお互いこ多様性を認め合い、ともにつながりあうような集団づくりをめざすのです。
けっして昔のように、同質性に基づくクラスづくりをめざすのではありません。
みんなで仲良く、心を一つにすれば目標は達成できる。
そのような考え方で児童生徒を鼓舞するような教員は、時代錯誤もはなはだしいのです。
それでなくても、いまの児童生徒はお互いに気をつかい、まわりやグループから自分が浮かないよう神経をつかっています。
それは同質性を周りや自分が求め、同調圧力が働くからです。
それに輪をかけるように、教師までが、「心を一つに、みんな同質になりなさい」というメッセージを送っていることになるのです。
同質性が働くと、他方では自分とちがう者をはじき出す排他性が働くのです。
ちがいがある人同士が集まる集団では、当然のように衝突が起きます。
その衝突を話し合い、対話によって解決していこうとする合意形成がいまの学級づくりのポイントです。
また、多様性を認め合い、つながりあい多文化共生する社会づくりが、今の時代にもとめられているのです。
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