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新型コロナウイルスの感染に見舞われた2020年・2021年は、ひとことで表現すると、「忍耐」や「我慢」という言葉が当てはまるのではないでしょうか。
好きなことをしたり、友だちと出かけること、食事をして大人数で歓談するのを我慢して、耐えることを強いられた2年間だったように思います。
日本人が大事にする伝統的な価値観は、人間関係で「和」を保つことだと思いますが、勝手なことをする人には、容赦なく周りからの攻撃が及びました。
ワクチンを打たない人には「なぜ打たないのだ」という攻撃が始まります。
店を開けていると「自粛と言われているだろう」と非難されます。
ちょっとでも羽目を外したり、規則を守らなければ、周りから激しく吊し上げられます。
ネット上の「炎上」では、凄まじい悪口にさらされて、言葉による暴力が集中します。
みんながトゲトゲしていて、「勝手なことは許さない」とギスギスする2年間でした。
「和を保つ」ことや規律を重んじることが日本の伝統的な美徳とされてきました。
東北大震災のときの避難所での整然とした行動に外国人が感嘆しのも、この美徳が根づいていたからでしょう。
しかし、コロナ災禍での日本人のその行動は裏目に出ました。
規則や手続きが煩雑で、給付金や支援金をもらおうとすれば膨大な労力と時間がかかる。
手続きを諦めた人もいると聞きます。
これらはIT化が遅れていることだけが問題なのではありません。
「和を保つ」ことが、多くの意味で、バリアーになり、生きづらさを生み出しているのではないでしょうか。
細かいこと、どうでもいいことはどうでもいい。でも、大切なことはすぐに柔軟に対応するというfrexibility(柔軟さ)が、いま必要であるとコロナ災禍は、私たちに問いかけているのてます。
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