日常生活のコミュニケーションで、人はいつも大切なこと、忘れてはいけないことだけを話しているのではありません。
親子での会話、仲間同士の会話、近所の人との会話などで、たわいもないことを話すことが多いものです。
思い出話でも、同じでしょう。たとえば「前にディズニーランドへ行ったとき、買ったばかりのアイスを地面に落としたこと覚えている?」と成人した娘にわたしが尋ねました。
娘は「そう。半泣きになっていたら掃除をしているお兄さんがすぐにアイスを片付けてくれて、新しいアイスを手渡してくれた」
「あのときは、うれしかったな。さすがディズニーと二人で言ってた」。
こんなたわいもない、他の人にはどうでもいいような会話はよくするものです。
「オリエンタルランドがめざす企業の顧客満足の本質は、このエピソードがらもわかるように・・・(うんぬん)」というような高尚な話をしているのでなく、たんなる親子の思い出を話しているのです。
しかし、うれしかったとか楽しかったという話で、心と心がこだましあうことは、大きな力をもっています。
たわいもないことをふつうに話せることほどしあわせなことはないのです。
そんなとき、なんでもない日常がくっきりと光り輝くのです。
コロナ災禍で、人と人が距離を物理的にあけるようになり、リモート会話も普及していますが、対面でのなにげない会話ができるほど価値のあることはないのだと思います。
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