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中学校教育を通して言えるのは、いま生徒会長や行事の実行委員長になる人は性別に関係ないのがふつうになっているということです。
わたしが教員になった頃は、○年○組の生徒名簿は、男子が先に五十音順にならび、そのあと、女子が五十音順に並んでいました。
でも、いまは男女混合の五十音順に並び、それが定着していますし、とくに教育活動上の不都合はまったくありません。
ただ、男女別名簿の時代は、それとなく「長」のつく役割は男子がするものという雰囲気が合ったように思い出します。
今から20年ほど前に勤務していた中学校で、生徒会役員がすべて女子になったことがありました。
そのときは珍しがられ、新聞社からの取材を受け「女子ばかりの生徒会」という見出しの記事になりました。
それ以後、学校では男子、女子に関係なく、生徒会長や学級委員長、実行委員長をする時代になり、今にいたっています。
さて、大人の世界ではよく言われますが、「男性はおおざっぱ、女性は細かいことに気がつく」という「定説」がまことしやかに言われます。
中学校でも、女子生徒の方が、何かをクラスで話し合うとき、男子生徒よりもまわりへの気遣いや細かい配慮ができるという見方をする教員がいます。
しかし、それはジェンダーロールによるものだとわたしは考えています。ジェンダーに基づき社会的に期待される役割のことです。
「男なら泣くな、めそめそするな」とか「女だからおしとやかにしなさい」というように男らしさ、女らしさを求める周りの環境(家庭、地域、社会)があるのです。
そのすり込みを受けて育ってきた中学生は、意識してか無意識のうちにその役割を演じているのだと考えています。
大人社会では、男女差だけでなく、社会的・経済的な差が、その人の言動に影響を与え、「男性らしさ」、「女性らしさ」を演じるよう強いられているのです。
そもそも、個人差を考えずに「男だから」、「女だから」というきめつけは公正でないし、必要ありません。
それ以後、学校では男子、女子に関係なく、生徒会長や学級委員長、実行委員長をする時代になり、今にいたっています。
さて、大人の世界ではよく言われますが、「男性はおおざっぱ、女性は細かいことに気がつく」という「定説」がまことしやかに言われます。
中学校でも、女子生徒の方が、何かをクラスで話し合うとき、男子生徒よりもまわりへの気遣いや細かい配慮ができるという見方をする教員がいます。
しかし、それはジェンダーロールによるものだとわたしは考えています。ジェンダーに基づき社会的に期待される役割のことです。
「男なら泣くな、めそめそするな」とか「女だからおしとやかにしなさい」というように男らしさ、女らしさを求める周りの環境(家庭、地域、社会)があるのです。
そのすり込みを受けて育ってきた中学生は、意識してか無意識のうちにその役割を演じているのだと考えています。
大人社会では、男女差だけでなく、社会的・経済的な差が、その人の言動に影響を与え、「男性らしさ」、「女性らしさ」を演じるよう強いられているのです。
そもそも、個人差を考えずに「男だから」、「女だから」というきめつけは公正でないし、必要ありません。
性別に拘り、それを口にすると「差別」だと
いう人が多いと思います。
私が思うに、逆に多種多様があると積極的に
表現する方が楽なのです。隠すから変です。
簡単に言えば、相手への「配慮」「労わり」
「マナー」「常識」と錯覚している人が多い。
この件についてブログで投稿しました。
題名は「2074 LGBT先進国」
https://blog.goo.ne.jp/daxy_2011/e/6a7b916de9aa642acdaad919160f7df0
興味があればお読み下さい。
タイでは、性別は18種類もあるのが公然と
して子供達に認識させています。
なので、あるのが前提で日常会話の中で
喋ってはいけないという教育をしていません。
何を喋っても自由ですが相手を攻撃しない。
これが前提となっている様です。
実に大らかで、どんな会話でも抵抗なく
学校生活をしているという事です。
ご参考になればと思いますのでご一考下さい。