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去年の春に私は、歯の治療が終わったとき、次は歯垢除去をしてもらおうと歯医者さんに相談しました。
すると、ドクターは「こんなにコロナ感染が広がっているのだから、べつに今しなくてもいいのではないですか」と言われました。
「そうですね。また今度にします」といって予約を取らずに帰りました。
このようなことは、クライアントとホストが接近する他の業種にもあるのかと思い、理髪店へ行ったとき聞いてみました。
「お客さんは減っていますか?」
ホストは、「そうですね。たしかにくる回数が減った人もいるし、全然来なくなった人もいますよ」
という返事でした。
ところが、そのホストは続けました。
「ただ、コロナ渦になってから、かえってよくくるようになった人もいますよ」という意外な言葉がかえってきました。
「いままでの髪型を変えたり、髪の毛の色を黒髪からちょっと暗めのブラウンにしたいと言われますよ」ということでした。
テレワークが多くなったので、好きな髪型や髪色にしたいとの思いの表れかと思いました。
それと同時に、コロナ前には仕事上のさまざまな理由で、したいことをできずに我慢していた人がけっこう多いのではないかと感じた次第です。
ただし、理髪店に行かなくなった人と行くようになった人は、根っこではいっしょなんだとも思いました。
つまり、人に会わないことが増えたのだから、少々髪が伸びていても大丈夫だ。
その一方で、人に会わないことが増えたのだから、髪型や髪色を好きにしたい。
この二つには、他者から見られる自分から解放されたという思いと社会と接点をもつ自分から解放されたという思いがそれぞれ併存しているのです。
コロナ災禍はさまざまな制約を私たちに課しました。飲食店に行けない。旅行へ行けない。人との距離を空けなければならない。マスクは絶対つける。さらになかなか出口が見つからない。
それらのことに気をつけて、実行するのはたいへんだったのですが、それとひきかえに根源的な欲求である「解放される経験」をコロナ災禍は与えてくれたと考えることもできるのです。
人間は、多くのしがらみから解放されると、自分らしさを発揮(エンパワメント)できるのです。
学校教育の分野には、「解放教育」(人権教育の一つ)という考えと分厚い実践があります。
少数派の人がさまざまな社会の不合理から解放され、自分らしさを取り戻すことをめざす教育です。
コロナ災禍による影響は、マイナス的なことばかりではなかったと想うのです。
ただし、理髪店に行かなくなった人と行くようになった人は、根っこではいっしょなんだとも思いました。
つまり、人に会わないことが増えたのだから、少々髪が伸びていても大丈夫だ。
その一方で、人に会わないことが増えたのだから、髪型や髪色を好きにしたい。
この二つには、他者から見られる自分から解放されたという思いと社会と接点をもつ自分から解放されたという思いがそれぞれ併存しているのです。
コロナ災禍はさまざまな制約を私たちに課しました。飲食店に行けない。旅行へ行けない。人との距離を空けなければならない。マスクは絶対つける。さらになかなか出口が見つからない。
それらのことに気をつけて、実行するのはたいへんだったのですが、それとひきかえに根源的な欲求である「解放される経験」をコロナ災禍は与えてくれたと考えることもできるのです。
人間は、多くのしがらみから解放されると、自分らしさを発揮(エンパワメント)できるのです。
学校教育の分野には、「解放教育」(人権教育の一つ)という考えと分厚い実践があります。
少数派の人がさまざまな社会の不合理から解放され、自分らしさを取り戻すことをめざす教育です。
コロナ災禍による影響は、マイナス的なことばかりではなかったと想うのです。