箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

どう思う この表現

2021年02月22日 08時19分00秒 | 教育・子育てあれこれ

ファミリーマートの惣菜シリーズ「お母さん食堂」のネーミングが、物議を醸し出しています。

「ご飯づくりは母親が担うものというすり込みになるので、名称を変更してほしい」というのが反対派。
「そこまで言うのは言葉狩りだ」というのが肯定派です。

二つの主張に分かれて、インターネット上にさまざまな意見が書き込まれています。

反対派のきっかけは女子高校生であり、オンラインによる署名活動を繰り広げ、賛同する署名数はいま8000近くになっています。

男の人は、自分たちは仕事をして、ごはんづくりが母親の負担になっていることに気がついてほしい。

男性が意識しないと、知らず知らずの間に「きめつけ」ができあがり、ごはんは女性がつくるものという偏見がなくならない。

このような考えで、反対派の署名活動が進んでいます。

一方、肯定派は「お母さん食堂を守ろう」というこれまたオンライン署名活動を行なっています。

インターネット上には、「(反対派が)そんな点まで問題にすると、言葉狩りではないか」という反発も書かれています。


わたしの経験ですが、子どもの頃、母がよくおにぎりを握ってくれました。

関西・大阪のおにぎりは、ふつうご飯を塩で味をつけ、握った表面に味付けのりを巻きます。(関東ではのりは味付けのりを使わず、焼きのりを使うそうです。)

わたしの母はいま高齢になっていますが、何年か前に久しぶりに母の握ったおにぎりを食べました。

そのとき、何とも言えない、あのなつかしい、「おふくろの味」を思い出したのです。少年時代が蘇るような感覚でした。

その経験に照らして思うのは、今回の肯定派の人たちは次のような感情をもったのではないでしょうか。

「おふくろの味」と言われるような、自分が抱くある意味のノスタルジーのような感情、「お母さん」という肯定的な意味あいを認めたらどうなんだ。

その思いが先鋭化すると、「言葉狩りだ」という意見になるのではないか。わたしはそう思います。


では、当のファミリーマートはこの論争をどう受け止めているのでしょうか。

「(賛否両論どちらも)貴重な意見として受け止めており、今後さまざまな意見を聞きながら方向性を決定してまいりますが、現在では未定でございます。」(毎日新聞)というコメントを出しています。

ファミリーマートとしては、状況を見ながら判断するとのことです。


私はこのコメントを読み、お母さん食堂のネーミングの是非は先延ばしにして、論争が進むほど商品の認知度が上がるというファミリーマートの目算があるとも受けとります。


では、最後に「ブログを書いているあなたはどう思うねん?」と問われたならば、どちらかというと、声を上げた女子高校生を擁護したいです。

おそらく、何10年か前なら、この広告はすんなり受けいれられていたのではないでしょうか。

しかし、最近ではオリンピックに関して会長の発言に異を唱え、反発があったように、人びとの意識は高くなっています。

そんな状況で、今回、高校生が「おかしい」と意見表明したことに意味があると思います。

それだけ、子どもの意識も高まってきたことを評価したいのです。


ところで、学校教育の範ちゅうでは、中学生が平和学習をして、戦時中の人びとの生活を知り、わたしがよく聞く感想があります。

たとえば、戦争中の防空壕での暮らし、沖縄のガマでの避難生活、戦火の中を逃げまわった体験を聞き、いまの自分の生活と比べます。

「戦争中はたいへんだったのだと思いました。わたしは、いま家で、お父さんが働いてきてくれて、お母さんがおいしいごはんを作ってくれて、恵まれているなと感じます・・・」

この感想は、中学生が感じたことをそのまま書いているので、批評はしません。が、しばしば聞く最近多い感想です。

この感想にあるように、「お父さんは仕事、お母さんは家事」というすり込みを子どもが受けている影響は、私たちが思う以上に強いのです。

それに、店内の「お母さん食堂」の表示の横に添えられているイラストのお母さんが、白いエプロンを身につけ、頭には白い手ぬぐいで描かれており(カバー写真参照)、いかにもせっせと家事に励む昭和のお母さんを表しています。

ゆえに、学校教育関係者のわたしは、自身がたしかにおふくろの味というノスタルジーは感じながらも、令和の時代の高校生の感性をたのもしく思うのです。

できれば、女子高校生だけでなく、男子高校生から声が出ればよいとも思います。

ほかの問題に関しても言えることですが、「おかしい」と第一の声をあげるのは、マイノリティの側であることが往々にしてあるからです。

その点でこの広告は、生徒たちに男女の対等性を考えさせる学習のいい教材になると、わたしは思います。

生徒たちにこの写真を見せて、どう思うかを意見交流させることができます。

答えがすぐには見つかりにくい問いに対して、意見を自由に出し合い、お互いが納得のいく答(正解でなく「納得解」)を導き出す学習になればいいのです。










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