私は中学のときから英語の学習が好きでした。
高校では、当時はいわゆる「受験英語」でしたが、英語は進んで学習しました。
そして、大学も英文学科へ進学しました。また、部活も英語研究部、いわゆるESSに4年間所属して、英語を使ったディスカッションに埋没しました。
そんな縁があり、大学では教職免許を英語でとりました。
英語を書いたり、話したり、聞いたり、読んだりするのは楽しく、大好きでした。
その結果、自然の成り行きで、中学校の英語教師になりました。
初任者として着任した中学校では、1年生の英語を教えました。
当時、生徒にとって英語は中学で初めて習う教科でしたので、どの生徒も英語への興味関心から、その目はキラキラと輝いていました。
今もはっきりと思い出すことができます。
どの生徒も大きな声で英語を話し、元気いっぱいでした。
わたしにとって、英語の授業は天職ともいえる大きな楽しみでした。
しかし、中間テストが終わりしばらくしてくると学力差が開き出し、2学期になると、前向きになれない授業態度の生徒も現れてきました。
そこから、英語の授業の進め方など、わたしには課題や悩みが交錯し始めたのでした。
新設校だったので、学年は1年生だけで、英語科の教員はわたしだけでした。
教科の相談をする同僚も先輩もいない。
わたしの英語授業の改善に向けた努力や苦労はここから始まったのでした。
授業研究を重ねて、英語を教えることを仕事にできるだけのスキルを身につけていく道が始まったのでした。
それは楽しいだけの英語では終わらないものでした。
さて、思えば少年の頃から楽しくやっていたことが、仕事になるとすぐにいちばん自分を苦しめがちになるのは、英語がどこかで「義務」な変わってしまうからなのでしょう。
何事でも、遊びを遊びのまま終わらせるには、自分との距離をとることが必要だと思います。
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