箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

いい学校とは

2020年03月12日 08時22分00秒 | 教育・子育てあれこれ

私が、箕面市内の各中学校を訪問して「いい学校」だと思う学校がいくつかあります。

 

「いい学校」というのは、管理職・校内中堅教職員・若手教職員が同じ方向を向いている学校であると感じます。

 

さらに、保護者も地域も、また教育委員会もその学校をサポートする同じ方向を向いているなら、さらに「いい学校」であると考えます。

 

そのような学校では、子ども一人ひとりの学習を大切にして、クラス・学校全体で成長・発展していく傾向があります。

 

だから当然ながら、生徒へのかかわりがプラスのかかわり(たし算)になります。

 

学校の進む方向が共通理解されているので、学級担任も、教科担任も、校長・(副校長)・教頭も、保護者・地域の人も、教育委員会も、おたがいに連携し合い教育活動を進めていくことになります。

 

ところが、その一方で、一見全体的に「整った学校」を目指し、「いい生徒」を育てることを重視している学校も多いものです。

 

そうなると、「いい生徒」に照らして子どもを評価することになります。


そして生徒へのかかわりがマイナスのアプローチ(引き算)になりがちです。

 

それなのに、とかく学校は「整った学校」づくりに傾く傾向があります。それはなぜでしょうか。

 

「たし算の学校」は、生徒一人ひとりの変化や成長をみます。


その場合、「この生徒は他の生徒と比べて、今はこの位置だ」といった明確なものさしがないのです。


そこから頼りなさ、不安感を教職員が感じてしまうからでないかと考えます。

 


そもそも、教師の指導や授業観は、自分自身が学んできた経験に大きく影響を受けます。

 

今までの授業スタイルを踏襲して、日々授業を探求していかないような教師には、新しい授業を実践する余裕がありません。

 

いま、学校は授業を探求する教師グループと、同じ授業を踏襲する二つに二極化しているように思われます。


 

では、生徒一人ひとりの変化や成長に目を向けることができる学校(たし算の学校)になるにはどうしたらいいのでしょうか。

 

それは、まず管理職がどれだけ自分の言葉で生徒Aのことが語れるかという点に始まります。

 

ついで、学級担任や教職員が生徒Aのことを、自分の言葉で語ることができるかです。

 

毎日の授業の中で、学校生活の中で、生徒Bとのかかわりあいの中で、学級全体との関係で生徒Aの姿を語れることです。

 

1学期にはAはこれができなかったけど、3学期には自分でできるようになった」

 

「そういえば、2学期には、Aに対して、Bがこんなかかわりをしていた」

 

「また、クラスの中でも、他の子がAに話しかける場面が増えた。Aの表情が明るくなってきた」。

 

このように、個々の生徒の様子やクラスの様子を価値づけていくことで、Aの成長が見えてきます。


その点で、教育とは全員にあてはまる活動ということより、生徒個人のテーマについてどうであったかという視点が大きいと言えます。


つまり教育では、個別の課題を問題にすることが多いのです。

 

生徒Aについて、1学期当初は思いつかなかった「化学変化」を語ることができる教職員の中で、生徒は成長します。

 

教育とは、あらかじめ予想した通りの結果になる(「予定調和」する)ことが少ないものです。



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