同質性が強くはたらく日本社会で、多様性をつくり出す第一歩はかなり勇気のいることです。
だって、ひとりだけちがうと目立ちます。
まっ白いテープルクロスにソースを一滴こぼしたようなものです。
学校でなら、みんなが「ここは厳粛な場面だから、じっと聴くもの」と子ども全員が合意しているなかに、一人声を出してしまう黙っていることができない障害のある子の声が響くようなものです。
わたしも職場で他の職員が忙しそうに事務仕事をしている中、勤務時刻の終わりが来たので「お先に失礼します」と退勤するのは、ちょっと後ろめたさを感じます。
でも、ソースのこぼれ以外に、だれかがケッチャップをこぼしたり、子どもがみそ汁のお椀をひっくり返し、お姉ちゃんがデザートのケーキの生チョコクリームを落としたりするテーブルでは、ソースをこぼしたのが目立たなくなります。周りから自分だけが浮くということがなくなります。
そして、みんながワイワイガヤガヤと話が弾み、楽しい食事が進んでいく。
そうなると、少数派がいなくなり、マジョリティもいなくなるのです。
これが多様性でないかと思います。
世界全体は、多様性尊重にシフトしていますが、日本社会が多様性尊重社会になるには、同質性を強く求め過ぎないことが必要で、それは若い子が活動する学校でまずちがいを認め、いっしょに活動する経験を積んでいくことができればいいと思います。
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