小さな畑ですが、わたしは野菜を育てています。
先祖から受け継いだ土地です。荒らすわけにはいきません。
別に野菜を売りに出すわけでもないです。
それでも家族で食べるには十分すぎる収穫があります。
だから、職場へもっていき、「どうぞ、よかったら」と配ります。
わたしが生まれ育った家は、すぐそばに畑があり、現在も同様です。
少し前まであんなに小さかったキュウリがつるから垂れ下がるほど大きくなっていることに驚くことがあります。
野菜の成長はたくましいと実感するのです。
そのとき感じて、考えることは二つあります。
スーパーへいけば、店先に並んでいる野菜はどれもが食べ頃の状態です。
しかし、食材の小さい頃とか大きな頃など、野菜のさまざまな姿やそれらが採られた背景などが見えなくなってしまっていま。
それを知ることができたら、季節の移ろいを知ることができるのに、と思うのです。
以上が一点目です。
次に二点目です。
逆に、ふだんから野菜を間近で見ていると、その丈が大きくなっていることに気がつかないこともあります。
その点、時間をあけて野菜を見る人には、それがいつのまにかか自分の身長をこえ、大きく成長したことに気がつきます。
ナチスドイツの時代をふりかえり、ドイツの農夫が手記を書いていました。
ふだん農園にいると気がつかないのだが、ふと気がつくと、しばらくの間に野菜はとてつもなく大きなものになっていた。
ナチスドイツが民衆にさまざまな取り組みをして支配をすすめてきました。その一つひとつは小さなことで気がつかなかった。
しかし、あるときふと我にかえると、われわれではどうしょうもない大きな勢力で、民衆を支配したいたのがナチスだった。
一つずつは小さくても、積み重ねると大きなものになるのです。
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