1995年1月17日、阪神淡路大地震が起きました。
今年はあれから25年となります。
当時、私は箕面二中で3年生の学級担任をしていました。
二中の中にも被災した教職員がいました。
あの地震は、甚大な被害を人びとに与えました。
建物は崩れ、傾き、火災が起こり、いま思い出しても、大阪北部でさえも猛烈な揺れでした。
家や家族を失った人がいます。
25年経って、神戸の街並みは見事に復興されました。
ただし、その問題や課題がすべて解決されたわけではなく、今もその影響を引きずり、生きている人がいます。
しかしながら、この災害によって、未来への発展が閉ざされたのではなかったのです。
後ろ向きでなく、前向きに考えることで、新しい知恵が生まれました。
たとえば、建物については、耐震構造や耐震性を考慮する社会に変わりました。
人びとの考え方も革新されてきたと考えることもできます。
人は苦しみ、悲しみを乗り越えるなんてことはできないと、私は常々考えています。
その苦しみ、悲しみとつきあって生きていくのだと考えています。
悲しみ、苦しみはその頂点に立ったとき、そこからは下り道か続きます。
その頂点に立ったときの痛みが、その人を強くします。
それでも未来へ 愛は続いている
人と人が求めあっている
それでも私は一歩歩き出す
そこに忘れられた希望を拾って 始めようか
(秋元康『風は吹いている』より)
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