五月病という言葉があります。
4月から入学や就職をした人が緊張して学校や職場に通い続け、ゴールデンウィークが明けたあたりに、気分がすぐれないとか、登校・出社に前向きな意欲がわかない状態になります。
ところが、今年の場合は少し違っていたようです。
新型コロナウイルス感染防止で、4月から学校は休校が続いていました。職場はテレワークで出勤しなくてすむ人もいたのでした。
他者と接するのが苦手な人、人間関係を結ぶのにかなり気を使う人でも、「今日も行かなくていいのです」と、遠慮なく言えることができたのでした。
登校・出勤するのが「当たり前」という価値観に覆われた社会に、変化が起きました。
ここで、学校の場合はちょっと置いておき、会社の場合を考えてみます。
新型コロナウイルス感染拡大の前は、オンラインで済む仕事でも、出社するのが「当たり前」でした。
考えてみれば、極端に言うと、パソコンを使い終日仕事をしていた人なら、「これって会社でなくてもできるのじゃないかな」となんとなくは思っていた。
でも、出社するのが「当たり前」という価値観や固定観念で貫かれていた頃には、言葉にして言うのもはばかられたというのが実情だったのでしょう。
でも、新型コロナウイルスの「おかげ」で、じつは会社でなくても仕事はできると感じていたのは、自分だけでなかったことに気づくことができたのです。
経営陣のほうも、意識が変わりだしました。
もう、広いオフィスを使わずとも、もっと狭いスペースで会社は十分にまわっていく。
じっさいに、オフィスを狭くする方向に舵をきるケースも生まれてきています。
今後は、画一出勤の制度しか考えない会社は働く人から敬遠され、在宅勤務も認める柔軟性のある会社に人が集まるようになるのかもしれません。
もちろん、在宅勤務ができない、その形態が馴染まない職場があるのは当然です。
そうであっても、働き方を改善する工夫は、なんらかの面で必要になってくることも予想できます。
では、学校の場合はどうでしょうか。
実際にオンライン授業が多くの大学で行われています。これを受講とみなして、学生には単位が与えられます。
小中高の学校でも、一部ですがオンライン授業が行われました。
登校しなくても、授業は受けることができるという考えもあるでしょう。
また、人間関係が苦手という生徒もいます。友だち関係がしんどくて、心が疲れてしまい、不登校になる場合もあります。
「学校に通わなくてもいい」となると、その子たちはどれほど救われた気持ちになるでしょうか。
ただ、学校の場合は、学力をつけるという目的以外に、集団生活の中で人とかかわり、人間関係を学習するという役割があります。
大学でも研究やゼミは生命線です。また、自治活動やクラブ、サークル活動は人との交流が大きな価値をもちます。
ですから、オンラインだけでいいというようにはならない面があります。
人は他者とのかかわりのなかで、自分を成長させることができます。
そのうえで、社会に出たとき、在宅勤務が働き方の一つの選択肢となるのです。
その点で、新型コロナウイルスは、学校の存在意義をあらためて照らし出した。
そのように、私は考えています。
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