今から28年前、阪神淡路大地震が起きました。
大阪のわたしの家でも、かつて経験したことのない激震でした。
下からドーンと突き上げだと思ったら、すぐに猛烈なガタガタガタガタという横揺れが長い時間続きました。
家が潰れると思いました。
揺れがおさまると、家族の住む母屋へ行き、無事を確認したことを覚えています。
その後、神戸市など阪神間の大規模な被害をテレビで目の当たりにして驚きました。
当時は避難所を開設しても、運営するノウハウも手探り状態でした。
神戸市立鷹取中学校(須磨区)も避難所になりました。
その当時の校長先生から後日聞いたお話を紹介します。
それは中学生の活躍です。
地震後、すぐに鷹取中学校には生徒が集まっていました。
避難所であっても水が出ない。
生徒たちは自分たちの判断で学校の受水槽を壊して、水をバケツで運び、避難所になっている体育館へ届けました。
トイレは水洗がきかないので、便器に溜まった便を板切れでかき出し、掃除をしました。
避難所に届いたお弁当を避難者に配る手伝いもしました。配り方にクレームをつける避難者にも、女子生徒はひるまず泣きながらも公平に弁当を配給しました。
被災したおばあちゃんを病院で看病した女子生徒は不登校の子でした。
看病の甲斐なく、おばあちゃんは亡くなりました。
学校で「おばあちゃんは亡くなった。でも、ありがとうと言って死んでいったんよ」と、涙を流しながら語るその子は、その後学校へ登校するようになりました。
それらの実話を聞くにつけ、わたしは中学生がもつ力をあらためて思ったのでした。
しかし、現状をみると、多くの場合、中学生は大人から守られる存在として捉えられ、避難所の運営スタッフに加えられたり、ボランティアの一員として加えてもらえないのが、多くの自治体で見受けられる風景です。
避難者の一員として、組み込まれていきます。
中学生は大人から守られる存在でもあるのは確かですが、じつは大人を守る存在でもあるのです。
中学生はそれだけの力をもっているのです。
どこの自治体でも、防災計画を備えていますが、中学生を避難所運営スタッフに組みいれているところは皆無でないかと思います。
わたしは中学生の役割を、無理のない程度で計画に組み入れていけばいいと考えています。
もし、一部でもその役まわりを中学生が果たせば、自分がかかわることで喜んでくれる人と出会え、自分も社会に役立つことができると知ります。
それは中学生にとって、大きな自信となるでしょう。
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