箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

ココロの穴を埋める

2019年08月21日 08時40分00秒 | 教育・子育てあれこれ
 
 
 
 
 
私たちは、とかく他者と自分を比較して、私はこれができないけど、あの人はできる。
 
私にはこれがないけど、あの子はもっている。
 
私はあのように、上手くは話せない。
 
私たちは、他の人と一緒に生きていたり、生活を送っているのだから、自分以外の人たちと無関係ではいられません。
 
そこで、自分と他者との比較が始まり、比較の中で自分の価値を見いだそうとしてしまいます。
 
そして、中学生は、できないことやもっていないことを、自分の中に多く見つければ見つけるほど、自信を失います。
 
そういうことが重なってくると、「あなたはあなたのままでいい」と、誰かが言ってくれても、そう思えず、自分のことが好ましく思えなくなります。
 
いわゆる「自己肯定感」が下がり、自分のことがイヤになることになります。
 
大人にもそういう傾向があるのだから、悩みやすい思春期の中学生ならなおさらです。
 
「わたしって、生きていて何の価値があるの」と思いつめると、自分を傷つけることで、こころにポッカリと空いた穴を埋めようとします。
 
さまざまな条件が重なると、なかにはリストカットというカタチで現れることもあります。
 
「切る」と、その瞬間は心がスーとすると、本人は言います。
 
私が約10年前に出会ったリストカットをくりかえしていた女子中学生はそう言っていました。
 
 
 
リストカットは、自分を傷つけることで自分の苦しさを表す一つの手段です。
 
だからわたしはできるだけ、その子の苦しさを理解しようとしました。
 
リストカットは、本人のつらさの表現ですから、本人の言うことを否定せず聴くようにしました。
 
その子とは3年前に再会しましたが、いまは教員を志し、現在、他市の中学校に「講師」として勤務していると聞きました。
 
だから、わたしはよく言うのです。
 
 「中学生は悩むのが仕事である」と。
 
自己を肯定できないことは、他者との比較から出てくるのですが、経験上一つ言えることがあります。
 
 それは、
他人と自分を比べなくなったとき、人は自分のことを好きになるということです。
 
それができるには、一定程度、年齢を重ねていく必要もあります。

大人たちは、その子が年齢を重ねるまで、その子をしっかりと見守っていきたいのです。


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