緑には、東京しかない

千葉県の東京寄りに住んでいる私「緑」が大好きな東京の散策写真のブログを作ります!!!

5月の東大構内:安田講堂と工学部6・2号館の周辺 PART2

2017年08月25日 06時01分00秒 | 文京・白山


東京大学本郷地区キャンパス内の安田講堂や工学部2号館の周辺を散策していきます。安田講堂そばの広場内から、建物東側へ降りることができる階段が設置されていました。




北西側から、「安田講堂」の建物の時計台部分を撮影しました。お昼前後の時間帯だったので、少し逆光状態となってしまいました。




安田講堂の建物の敷地北側に広がっているスペースを見渡して撮影しました。




安田講堂と工学部2号館の間を通っている並木道を見下ろして撮影しました。東側(東大病院側)へ向かって、緩やかな下り坂の地形が広がっています。




北西側から「安田講堂」の建物の全景を撮影しました。




北側から、安田講堂前の広場の全景を撮影しました。散策道や芝生広場、植栽などが綺麗に整備されていました。




安田講堂の敷地の北西側に建っている「工学部6号館」の建物を撮影しました。1940年の完成であり、老朽化と耐震強度への懸念により、耐震補強工事(1997年完了)が行われています。現在は物理工学科、計数工学科が利用しています。




「工学部2号館」の建物の敷地前から振り返って、安田講堂の建物を見上げて撮影しました。




工学部2号館の敷地南側を通っている道路を、西側へ向かって歩いていきます。正面に建っているのは「法文1号館」の赤レンガの建物です。




南東側から「工学部6号館」の建物を見上げて撮影しました。赤レンガ壁の建物と、新緑の並木道の緑色がいい組み合わせの風景になっていました。




南西側から「工学部2号館」の建物の低層階部分を撮影しました。現在の工学部2号館は新しい建物に建て替えられていますが、南側棟の壁面には旧2号館の赤レンガ壁が流用されています。




同じ場所から、工学部2号館の建物の高層階部分を見上げて撮影しました。




工学部6号館の敷地南側を通っている並木道を更に西側へ向かって歩いていくと、工学部の敷地内の広大な広場が見えて来ました。広場内も色鮮やかな新緑に覆われていました。




南側から、工学部6号館の敷地西側を通っている道路を撮影しました。




上記と同じ場所から振り返って、工学部6号館や2号館の敷地南側を通っている新緑の並木道を撮影しました。



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5月の東大構内:安田講堂と工学部6・2号館の周辺 PART1

2017年08月25日 06時00分00秒 | 文京・白山


西側から、法文1・2号館の敷地前から「安田講堂」、正式名称としては「東京大学大講堂」の建物の全景を撮影しました。建物内には大講堂や保健センターなどが入っています。




西側から、安田講堂前の広場の全景を撮影しました。広場内には散策道や芝生、植栽などが綺麗に整備されていました。




並木道前から、安田講堂前の広場の北側部分を見渡して撮影しました。




安田講堂前の広場の南側部分を見渡して撮影しました。安田講堂の建物と広場の敷地南側には、「三四郎池」の低地が広がっています。




南東側から「法文1号館」の建物の全景を撮影しました。安田講堂前の広場の敷地の北西側に建っている赤レンガ造りの建物となっています。




南西側から、広場の敷地北側に建っている「工学部2号館」の建物を撮影しました。元々は1924年に完成した旧2号館の建物群が建っていましたが、現在は2棟の高層建築棟で構成されています。




「安田講堂」の正面玄関を撮影しました。安田財閥の創始者・安田善次郎の、匿名を条件での寄付により建設されましたが、安田の死後に寄付を行っていたことが知られるようになったことで安田を偲び、一般に安田講堂と呼ばれるようになっています。




安田講堂の建物は地上7階・地下1階建ての規模であり、1921年(大正10年)に工事着工し、1925年(大正14年)に完成しています。 設計者は内田祥三、岸田日出刀となっています。




広場内から北側の一帯を見渡して撮影しました。正面には「工学部2号館」の高層棟が建ち並んでいるのが見えます。




広場内から南側へ向かって伸びている石段の坂道を見下ろして撮影しました。坂下の低地には「三四郎池」、正式名称「育徳院心字池」の緑地帯が広がっています。後程、三四郎池内を散策します。




安田講堂の正面玄関前にやってきました。冷戦時の1968年(昭和43年)の東大紛争では、全学共闘会議によって占拠され、最終的には機動隊により強制排除された「東大紛争」の舞台として大変有名ですね。




安田講堂の時計台を見上げて撮影しました。現在の安田講堂の周辺は、東大紛争当時とは打って変わり、ひっそりとした雰囲気に包まれていました。




北東側から「法文2号館」の赤レンガの建物の全景を撮影しました。




東大紛争の後、この安田講堂は20年近く廃墟のまま放置されていたそうです。1988年から1994年にかけて改修工事が行われ、ようやく建物として使用できるようになっています。




広場から北側へ向かって伸びている石段の坂道を歩いて、「工学部2号館」の敷地前へ向かっていきます。



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