
御殿下記念館前を通り抜けていくと、「三四郎池」の敷地の北東角の入口前にやってきました。これから、東京大学本郷キャンパスの敷地内に広がっている「三四郎池」内を散策していきます。

低地に向かって伸びている石段の散策道を歩いていきます。

石段下から振り返って、御殿下記念館方向を見上げて撮影しました。

石段下前から、三四郎池の北側に整備されている散策道を見渡して撮影しました。三四郎池の周囲も人の気配は全くと言っていいほどありませんでした。

石段下から、三四郎池を見渡して撮影しました。江戸時代、この一帯の大部分は加賀藩上屋敷によって占められており、明治維新後に東京大学医学部本郷キャンパスなどとして整備された経緯があります。

1629年(寛永6年」の4月、前田家3代藩主利常の時に、徳川3代将軍家光・大御所秀忠の御成(訪問)があり、それに先だって豪奢な御成御殿や数寄屋を新築し、庭園を整備したと考えられています。この庭園が育徳園であり、心字池と呼ばれています。

心事池の東側(山上会館側)に整備されている新緑の遊歩道を、南側へ向かって歩いていきます。

大学キャンパスの敷地内とは思えないほど、鬱蒼とした新緑の木々に覆われていました。

三四郎池の南東角前にやってきました。

ここから南側へ向かって、上り坂の石段が整備されています。この石段を上っていくと、医学部2号館方面に出ることができます。

三四郎池の南側に整備されている広場内を通り抜けていきます。

南側から新緑の「三四郎池」を見渡して撮影しました。夏目漱石の名作『三四郎』はここを舞台としたため、「三四郎池」と呼ばれるようになった経緯があります。

三四郎池の北側に広がっている新緑の木々をズームで撮影しました。

南岸の広場前から、三四郎池の東側の斜面部分を見渡して撮影しました。

同じ場所から、三四郎池の西岸の新緑の木々を撮影しました。
