羽田から六郷辺りは昭和時代までは小さな工場がひしめき合って日本の高度成長を支えていたのでほとんどの地域は「準工業地」になっている、
高度成長の終焉と共に中小零細工場は減少してゆきそこにマンションと分譲宅地が増えて来た、
しかし「準工業地」の区域は変わらないので「住宅地」と比べると規制がかなり少ない、
小さな路地がいくつも交差していて薄暗いその路地の中頃にポツンと行灯があったりする、
通勤している路地裏に幾つかそんなところがある
七年前に来た時から気になっている店がある、バス通りから2度ほど曲がった処、銭湯の前を通り過ぎてそろそろ住居しかなくなるころ、
削り出しの厚そうな板は昔の「黒塀」の様なあるいはタールを塗ったのかと言う感じの扉に銅か荒金の飾の付いた取っ手があるだけで店の名前は書いていない
鉢植えの植物があってその前にイーゼルが置いてあってそこにチョークで「Barミモザ」と書いてある、
「ボトル3千円」としか書いていない、確か7年前から変わっていない様な気がする
気にはなっても結局一度も入っていない、最近はこういう店よりおいしい魚と酒があったほうがいいようになったのだがそれも糖尿になって焼酎しか飲まなくなり摘みも制限しなければならなくなったので殆ど家飲みになったせいもある、
しかし、昔はこの「Bar」と言う奴には憧れがあった、が高級な奴は懐が怖くて行けなかった、昔こんな店が有ったら迷わず寄っていたんだろうなと思う、結果はどうなのか不安でもあるあが、
ミモザと言う名前は確か「アカシア」だった、この花の名は歌でよく聞いた、西田佐知子の「アカシアの雨に打たれて」、石原裕次郎の「恋の街札幌」「赤いハンカチ」など、
しかし「アカシアの花」は実際に見たことはない、東京の街路樹にある白い泡の様な花の木は「ニセアカシア」だったはずだが北海道では「アカシアの花の天婦羅」を食べると何かで聞いた事があるが「ニセアカシア」はダメだとも聞いた気がする
つい最近「アカシア蜂蜜」と言うブランドがあってそのラベルの花が「アカシアの花」だったが「アカシアの花は蜂蜜が取れない、蜜が取れるのはニセアカシアだ」と言う投稿がありメーカーが謝罪したという記事を見た気がする、
エリカの花と言う歌もあったが「伊豆の山陰にエリカの花は咲くという」と言う歌だがこの花も全く分からない、「デイゴの花が咲き」と言う沖縄の花も見たことはない、
しょっちゅう見る花では歌にはならないのかもしれないな
高度成長の終焉と共に中小零細工場は減少してゆきそこにマンションと分譲宅地が増えて来た、
しかし「準工業地」の区域は変わらないので「住宅地」と比べると規制がかなり少ない、
小さな路地がいくつも交差していて薄暗いその路地の中頃にポツンと行灯があったりする、
通勤している路地裏に幾つかそんなところがある
七年前に来た時から気になっている店がある、バス通りから2度ほど曲がった処、銭湯の前を通り過ぎてそろそろ住居しかなくなるころ、
削り出しの厚そうな板は昔の「黒塀」の様なあるいはタールを塗ったのかと言う感じの扉に銅か荒金の飾の付いた取っ手があるだけで店の名前は書いていない
鉢植えの植物があってその前にイーゼルが置いてあってそこにチョークで「Barミモザ」と書いてある、
「ボトル3千円」としか書いていない、確か7年前から変わっていない様な気がする
気にはなっても結局一度も入っていない、最近はこういう店よりおいしい魚と酒があったほうがいいようになったのだがそれも糖尿になって焼酎しか飲まなくなり摘みも制限しなければならなくなったので殆ど家飲みになったせいもある、
しかし、昔はこの「Bar」と言う奴には憧れがあった、が高級な奴は懐が怖くて行けなかった、昔こんな店が有ったら迷わず寄っていたんだろうなと思う、結果はどうなのか不安でもあるあが、
ミモザと言う名前は確か「アカシア」だった、この花の名は歌でよく聞いた、西田佐知子の「アカシアの雨に打たれて」、石原裕次郎の「恋の街札幌」「赤いハンカチ」など、
しかし「アカシアの花」は実際に見たことはない、東京の街路樹にある白い泡の様な花の木は「ニセアカシア」だったはずだが北海道では「アカシアの花の天婦羅」を食べると何かで聞いた事があるが「ニセアカシア」はダメだとも聞いた気がする
つい最近「アカシア蜂蜜」と言うブランドがあってそのラベルの花が「アカシアの花」だったが「アカシアの花は蜂蜜が取れない、蜜が取れるのはニセアカシアだ」と言う投稿がありメーカーが謝罪したという記事を見た気がする、
エリカの花と言う歌もあったが「伊豆の山陰にエリカの花は咲くという」と言う歌だがこの花も全く分からない、「デイゴの花が咲き」と言う沖縄の花も見たことはない、
しょっちゅう見る花では歌にはならないのかもしれないな