河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

絵画修復家として何を見ていたか

2016-12-07 01:45:46 | 絵画

修復家が美術作品を見て、最初に感じようとするのは作品の保存状態である。(修復家になる前は微塵もそのようなことは思わなかった)

絵画であるならば大きく全体を眺めて絵具の劣化によってどれほど絵画性が失われているかを感じながら、除去可能な汚れ、不可能な汚れ、絵具の亀裂や欠損、キャンヴァスの歪み、板絵のそりや亀裂、割れ、そして過去の修復家の手による補彩などを観察している。

展覧会の作品管理を担当するときは、借用作品は必ず保存状態調書というものを作る。また所存作品を貸し出す時も同様である。国立西洋美術館で開催した展覧会の借用作品の最大数はジャポニズム展の530点であった。本来はすべての作品の保存状態を記憶するのが仕事であるが、この時は他にも展覧会で200点を担当していて、正直言って、記憶できなかった。この時は調書を見ても思い出さなかったものもあった。(こりゃーいけん…では済まされなかった。)

こうした点検の最中には絵画鑑賞はしていない。修復処置が必要な作品に接する場合は、保存状態の良し悪しで、近い将来どのような障害が起きるかを想定して、手当をすべきか判断の材料とする。(巷では金もうけのために不要な処置をしようとする者もいるから…不幸な作品も出てくる)

美術館のような設備が整っているところでは、光学機器を用いた調査も行う。蛍光紫外線では過去の補彩処置が見えるが、熟練した者はし紫外線なしで補彩などは見抜くことが出来る。(出来て当たり前です)蛍光紫外線の下では蛍光反応色が異なるジンクホワイトかシルバーホワイトかを判別できる。まあ、しかしそれがどうしたという程度のものである。

赤外線反射吸収反応では診断では、赤外線を吸収する黒やコバルトブルーなどの色が白い地塗りの上で黒く反射する。白い地塗りの上のデッサンなどを見るのに役に立つが、ボルス地のような暗い地塗りの上に描かれたデッサンはほとんど見えない。デッサンが見つかるとわくわくするものである。何しろ発見したのは自分が初めてかもしれないから。有名な巨匠の作品であれば、小論文で報告して、欧米で盛んにおこなわれている調査の一環に参加するのも大事な仕事だ。

調査は大事な仕事の一つであるが、最近は絵を描かない(描けない)修復家もいるので技法調査が正確に出来るかどうか怪しいが・・・・観察して記憶することは「この作品がどの様に作られ、どのような扱いを受けてきたか。また将来どのような保存状態になるか」を判断するためには、やはり「絵具の状態」が技法との関係で重要な要素となっている。

作家の上手い下手は絵具の扱い方であり、保存状態には大きく関係しているので、技法と技巧を観察することは、科学的な客観性を蓄えて判断する大事な方法である。トータルにあらゆる機会に、時代の流行、作家個人の才能、癖などを整理し記憶する。(これは修復家として目利きであるための基礎である)

ピカソのようにチューブ入りの絵具をそのままキャンヴァスに・・・・ぶちっと出して、筆でこねくり回した制作から、フランドルの巨匠のように絵具の顔料にきめ細やかさを求めて、日夜すりつぶし、最適な大きさまでにして描く制作態度まで。亜麻仁油を加熱あるいは陽晒し加工し、それに樹脂を加えるなどして、さんざん準備して、下塗り、描き込み、仕上げ加筆・・・・と大きな配慮がされていることのピカソとの違いは表現に対する配慮との違いとも言える。修復家にとって差別はしないものの、チューブから出たばかりの絵具が乾燥し切らないことは明白で、表面だけ乾燥固化した絵具の将来が、結果として何が起きるか、想定するのは修復家としての基本中の基本である。

画家によって様々な絵画が生まれて、見る側の好き嫌いは許されるが、修復家には許されない。優劣の差別は無いが、区別はある。(西洋美術館にはピカソはあったが、ファン・アイクは無かったので区別も出来なかったが・・・。やってみたかったな?)

芸術的価値と歴史的価値とされるものが既にこの世に存在する。ユネスコで決めている世界遺産でも、いろいろなカテゴリーで囲い込んでいるように、この国で、日曜画家まで入れると、毎年100万点を超す作品が生まれているだろう。それを全て平等に扱って保存することはできない。物理的にも不可能であるから、優先順位をつけて救急対応できる程度にするしかできない。

修復家が処置対象作品の芸術的価値について議論することはない。場合によっては「芸術性」については処置の方向を左右されられる場合もある。何が表現なのか不明な現代美術作品となれば、何も出来なくなるものもある。物として扱って保存すべきだという考えもあるが、修復家の議論は終わらない。2008年頃、ロンドン・テイトギャラリーで開催された「コピー作品の扱い」というテーマのシンポジュウムに招待されたとき、参加者(修復家や学芸員)の議論は「現代美術作品のオリジナリティの基準」で白熱した。誰がどう決めるのか・・・・。取り扱いの原則(日本でいう建前ではない)が決まらないと処置が出来ないことになるので・・・・結局具体的なことにつながらなかった。それほど現代美術作品は観念性が先行し、表現に形がないとも言える。

芸術的価値が処置の範疇から外され、むしろ歴史的価値の方が明確に議論され、選択を迫られる。つまり未来に残す残し方が少しずつ違うからだ。ではどのような作品が歴史的価値として保存が選択されるかというと、「痛みが激しいが、時代性を表している作品」、「評価が定まっていない作品」などであろうか。例えば具体的に言えば「時代性を表している作品」宗教画であったり、政治や社会を表現したものであったりするし、贋作は「評価の定まっていない作品」に該当するであろう。

さんざん仕事で点検調書を作り、扱いが決まると初めて絵画鑑賞が出来る。絵を鑑賞する自分は個人であって、絵を描く自分でもある。今現在興味のある作家の作品を重点的に見る。要するに好き嫌いで見ることのできる自由な立場になる。この切り替えが義務的に生じて、職業的習慣になる。

絵を鑑賞するに、職務中であれば、修復家ほど優位な立場は他にない。目の前で鼻が付くぐらい近寄っても見ても、受け入れられるのだ。修復家同士では、そこの心得が信頼感で許されているから、技法的な興味も、この調査中の会話に時間をとっても職業的な調査の一環である。それと修復中の作品であれば、保護ニスをかけたばかりの新鮮で深みのある状態(特に古典絵画の空間表現はニスによって奥行きが現れる)は美術史家でさえも立ち会うことが出来ない瞬間である。特に14~17世紀の描写が優れた西洋絵画作品は、最も制作時に近い状態で鑑賞できるともいえる。

私は海外出張でヨーロッパに行く場合は、必ず行く先のあるいは最寄りの美術館、文化財研究機関の修復アトリエや化学調査室の見学を申し込んだ。そこでは丁度修復中であるとか、調査中であるとかの裸の作品状態を見ることが出来る上、修復や調査を通して新たに分かった状態や情報が得られるのである。とにかく美術作品は「現物」を見ないと何もならない。(多くの美術史家は印刷で済ませてしまうが)最近はデジタルカメラのおかげで写真撮影が許される美術館も多くなって、フラッシュさえ焚かなければ記録も作れる。(美術館でのフラッシュは光に含まれる紫外線が問題なのではなく、他の鑑賞者に迷惑だから禁止されている)(点検中の修復家にはフラッシュも許されています)

ある時、メルボルンのサウスウェールズ美術館でゴッホ展があり、西洋美術館からゴーガン作品を貸し出すので添乗した。この時オーストラリアではヴィザが必要であることを知らずに成田に向かった。たまたま日本に来ていた展覧会担当者から「航空会社から聞いていませんでしたか?」と聞かれても・・・・成田空港でもうすぐ飛行機が飛び立とうとしているときに判明して・・・・もしそのままメルボルンに着いて入管でトラブって、そのままゴーガンを下げて帰国するところであった。担当の彼はメルボルンの空港に電話して・・・He is the guest of the government と怒鳴っていた。それこそ真っ赤な顔をして帰ってきた彼はため息交じりに It's OK now!!と・・・。実に彼には悪いことしたと今でも思う。で、メルボルン空港では入国管理の事務所でヴィザ無し入国の始末書を複数枚書かされた。(話は長くなったが)その彼と開梱点検中に、他の日本の所蔵者から借用したゴッホ作品を見ながら「この作品をどう思うか?」と聞かれて…彼がアトリビューションが怪しいと言っているようで・・・「そうだね贋作かも」と答えた。要するにデッサンが下手なゴッホにしては絵が上手すぎたのである。サインまで入っているのだが、サインまで達筆(!!??)だった。(こう言う場合、展覧会カタログにはそのままにしておいて、展覧会キャプションにもゴッホ作品として展示される)(鑑賞者には申し訳ないけどね)

ついでの機会だったので、サウスウェールズ美術館が所蔵しているファン・アイク作品で小さな聖母子像を見ようと思っていたら、丁度修復室でメンテナンス中だというので、修復室で間近に見ることが出来た。額縁から外されて、机の上に置かれてあった、しかし見て驚いた、カタログレゾネ(作家の作とされるすべての作品を網羅したカタログ)にも掲載されている作品なのだが、板絵とされていたものが、実はカンヴァスに描かれていた。表から見ても判ることだが、カンヴァス目が見えるし、板の横から見るとマルフラージュ(カンヴァスを板に張り付けること)がされている。「この作品は板に貼られていますよ」とそこの修復家に言うと・・・・「えー!!」・・・と驚く。実はファン・アイク作品は戦前戦後(第二次大戦)を通して不幸なことに、特にアメリカ、イギリスで板に描かれたものが、カンヴァスに移し替えることが横行した。サウスウェールズの作品はこの逆で、カンヴァスが板に貼り付けられている状態。(板に描かれたものをはぎ取ってカンヴァスに移すメリットは何かと言うと、何もない)

ファン・アイク作品でカンヴァスに描かれているとされているものは、ロッテルダムの市立美術館にあるが・・・これもどうも私は怪しいと思っているのだが・・・サウスウェールズ作品はファン・アイクの精緻な描写と技法、絵具の使い方に合致しない。これは見当違いだと思った。要するにファン・アイク作品の数があまりに少ないので、構図や雰囲気が似ていると、該当作品とっされることがしばしば見受けられる。ヴェルメール作品でも同じようなことが起きている。遠くオーストラリアに所蔵されているというのが問題であろう。欧米のファン。アイク研究者にも距離が遠すぎるだろう。そうすると写真で判断したり、資料文献で判断したりする。このような美術史家の顛末にはあきれるが・・・・この時、サウスウェールズにも初期フランドルの研究者はいなかった。(他にもヨース・ファン・クレーフェの三簾祭壇画を所蔵していたが)修復家もオーストラリアから出て、ヨーロッパで修行するものは少ない。さらに専門が初期フランドルという者は尚更少ないであろう。メトロポリタン美術館やルーブル美術館であると「私の専門はネーデルランドバロックです」とか各自専門を持っている。羨ましい限りだ。私もフランドル絵画を所蔵する美術館で「私の専門は初期フランドル絵画です」と成ってみたかった。自分が一番近くに居たいと思う分野を一生を通して学びながら技能を深めることが出来れば、美術品にとっても、自分にとっても、これほど幸いなことはないはずだ。 

 


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