河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

この国の未来が見えますか?

2022-07-14 21:37:33 | 絵画

この国に生きていて、この国が今どの様な方向に向かっているか考えたことがありますか?

それは明治から今日の歴史的変遷をちょっと考えただけでは気が付かないかもしれない。学校では教えない日本の近現代史には具体的な変化は書かれないし、おおよその国民が「この国の在り方、あるべき方向性」について求めたことがないからではないかと思う。

安倍晋三が銃撃されて、岸田総理は「参院選挙の最中に民主主義への脅威となる・・」とか言っていた。日本人にとって国政選挙が民主主義であり、多数決で国政を決める大事な制度であると思い込んでいる。しかし、はたしてこれまで日本人は「民主主義とは何か?」を理解してきただろうか。19世紀末に選挙による多数支配が民主主義そのものを破壊すると述べた思想家がいた。こうした選挙で多数を得たものが、いろんなところで民主主義の本質を無視し、好き勝手な政策を行うことは目に見えていて、自民党は長い間、政権を独占し、民主主義とは相いれない「自分たちが考える国益」を追求してきたにすぎないことは感じていない様だ。

この国の政治家に「民主主義とは何か」説明を求めたい。戦後、自民党は政策の目的つまり行き着く先に「民主主義」を上げてこなかった。アメリカや西洋の国々では「民主主義」は追求実現すべき目標で、その一つの完成形としてスウェーデン、フィンランド、ノルウェー、デンマークでは税金を高くとって、それを教育費や医療費などを無料にする社会福祉政策を実現している。

この国では恐らく無理だろう。なぜなら島国独自の集団的価値観を押し付けて、その基準に合わない者は阻害する「いじめ」が子供時代から大人の時代にまではびこっている。家族主義が崩壊しかければ保守的な批判を行い、「美しい日本」とか、訳の分からぬ曖昧なキャッチコピーを言い出す。ジェンダーの問題も夫婦別姓も社会の秩序を壊しているというような批判をする人たちが政治を行っていて「民主主義」とは遠い。

「民主」は民つまり国民が「主」つまり主であるという考え方である。国民一人一人の幸福を実現しようとしないで、国益であるとして、グローバリズムと称して労賃の安い海外に企業が進出し、国内の雇用を減らし、人材派遣会社を制度化して不正規雇用者の低所得者を増やし、国内経済を低迷させた小泉純一郎と竹中平蔵の時代から、この国の若者は将来設計もまとも出来ない夢の無い生活を送っている。こんな時やり場のない生き方に付け入ったのは統一教会や勝共連合であり、多くの日本的政治家の理念の無さにヒットした。

自分の心を支える「何か」が無い者は、すぐに過激思想や宗教に転ぶ。しかもそこに論理的合理性は無くても、心情的に自分を救えるものだと思い込む。だから心情的に身を寄せる対象が現れれば、日本人は思考停止する。

カルト教団が神聖な行いだと言えば、貧しい頭の者たちはそれに乗っかるのだ。アメリカは戦後の日本に「民主主義国家」を求めたが、民主主義とは無縁の日本の政治家は戦後の混乱を乗り切ろうとして、戦中の思想に似た集団主義や家族主義から抜け出せなかった。自民党にとっての統一教会や勝共連合の理念はどうであったか、私がここに書かなくても年内いっぱいの話題として残るであろう。

82年に帰国して修復を始めた私のアトリエに「霊感占い」と200万円の「壺」を持って押し掛けてきた2名の若い女性が押しかけてきたのを思い出す。どういうタイミングであったのか忘れたが、高円寺の友人に10万円借りてようやく食事できた頃である。

今回の選挙も50数パーセントの投票率である。後のものはこの国の政治に何も期待していないということだ。

同様にお隣の国で「民主主義」を口にする「共に民主党」という政党が多数を占めて、自分たちの犯罪を摘発できないようにする法律を作っているのは全く同じレベルである。この国も「民主主義」が未来に見えない国だろう。

 


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