貴方は絵を描いているだろうか?もし描いているのであれば、インスピレーションや潜在意識が作用として現れていると思うだろうか?もし現れていると思えばそれは何なのだろうか?
私は漠然として、インスピレーションや潜在意識が働いて、作中の表現に恩恵があるとかつて思っていたが、ブログを書いていて・・・何やら無責任な捉え方だなあーと思うようになった。
以前にも書いたが、クロッキーは何百万回描いても、何の役にも立たないと述べた。クロッキーは短い時間に対象を捉える練習で若い時分はよくやったが、今では「創作に対するもっともいい加減な理解」を表している方法と思う。だいたい物事を始めて間もない者がどうして物を捉えることが出来ようか?しかも5分や10分で・・・何が見えていたのだろうか?
何も見えていなかった。只そうするものだと、言い聞かされていただけだ。対象をよく見もしないで鉛筆を動かした。何一つ感覚的に受け入れられる結果が残っていない。時間の無駄をしたのだ。
まず最初の線を引く前に、よく観察し感じて得た形を表してみるのがデッサンの基本であって、10分観察して30秒線が引けるだろうか?
クロッキーは別物だと思っている者が多かった。そこにインスピレーションであるとか、潜在意識であるとが現れると思っている者が居たのだ。描く側の者が思っていたのか、それとも批評する側の者がそう思っていたのか?インスピレーションとは「天から降って湧いたような霊感のこと」らしいが、そんなものを感じることが誰にしもあるのだろうか?錯覚にはその根拠となるものがるが、根拠がなければ「錯誤」ではないのか?私は「霊感」などというありがたいものは感じたことはない。私以外の人にはあるのだろうか?潜在意識とは「意識に現れず、無自覚に働いている意識」だそうだ。例えば気が付かないうちに絵を描いていた・・・などとでも言うのか?それとも描いているうちに、思いもしなかったことを描いていたということだろうか?貴方はそんな経験をしたことがるだろうか?
普通は自分の表現の世界は意識によって形作られる。絵を描き始める前に何を描くかも明確にせず、いきなり描き始めるのは「素人」である。何をどうしたいのか分からずに芸術はあり得ない。芸術作品にはそこに誰もが感じ取れる世界が作り出されていない限り、表現されているものが伝わらないのであるから、それでも何かそこにあるというのは「カルトの信者」かイカレタ評論家である。
「物」を創るものは偶然出来たと思うかもしれないが、「もの」を創る者は偶然作れない。必然によってのみ実現可能だ。「表現」は意識によって成されたものを言うのだから。
しかしこの国では、油絵の具と言えば分厚く重ね塗りする「意識欠如」の者たちが多いことは市や県の展覧会を見に行くと見つかる。当初から何を描くか、どう描きたいかなど基本が分かっていれば、無駄を省くだろう。また意識は経験によって高められ、分厚く絵具が盛り上がって、下に隠れる絵具が無駄であることは考えなくても理解されているはずだが。意識が潜在化していることと、「意識欠如」とは違うから、誰でも合理的な結論は得られるだろう。
問題はこの国の国民性である「精神性の曖昧さ」にあるのかも知れない。
私は幻想(あるいは空想)画を描いているが、意識というか「意志」はハッキリしていて、こういうものを表したいと欲したものを描いている。白い画面に現れるものは、それまで自分が描き表してこなかったものが主で、それがうまく描き表されると満足する。そこで何点も描いているうちにトータルな結果として、「このような意識が働いている」と誰かが感想することは可能であるが、そこで言われることは決して私にとって気が付かなかったことではなくて、自分をよく理解しているつもりであるからこそ「潜在意識はこれである」とは言われたくないのである。そこで私が感じていいる意識とは「人の生と死」のことで、これが最も自分が生涯気になる疑問点で、少しでも「生と死の核心」に近づいてから生涯を終わりたいと願っているからである。
魚を釣りに行くと、大物を釣ることがあるが「釣れてしまった」のか、狙って「釣った」のか周りは気にする。釣った当人は分かっているであろう。表現にたまたま「描けた」はない。意志でもって「描いた」しかないはずである。
例え空想画でも、記憶やその時の嗜好や表現能力で描くしかないので、理想的結果にも限度が生じる。だから作り手は「力」を日ごろから養い、「想い」を具現することに意識するのである。
むかし、妙な夢を見ていいた。会ったこともない女性と親密になり性的な関係を持つ夢だ。男の夢の中の性行為の相手は現実に近しいところにいる女性ではなく、イメージの合成だそうだ。そこで言われるのが潜在的意識がこの合成イメージを作り出す「好み」を組み立てるのだとか・・・。もしこの合成イメージに近い女性が現実に現れていたら・・・・夢中になっっていたかもしれないと思うが。
私は画中に登場する想像の女性がこの潜在意識イメージの女性だと言われたくない。夢も虚構、絵画も虚構だが、夢は全くコントロールが効かないが、絵画は恣意的でも狙いを定めている。だから絵の中の女性に惚れて性的魅力を感じて「興奮」したりしないから・・・。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます