河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

日本の文化 妥協

2024-08-04 11:49:09 | 絵画

日本人にとって意にそぐわない決断をしなくてはならないとき「妥協」という。ちょっとこの国では当事者でない者が「あまり大事(おおごと)にしないで・・・もっと・・・」と周囲から「妥協」を勧めることが多くみられる。

例えば、ウクライナの戦争が始まった時、大国ロシアに対して勝てないのだから「和平案」と飲んで戦争拡大を避けるべきだと、多くの日本人がそうした意見を述べた。知識人ぶっている者も、TVでコメンテーターとして活動している者にも「和平」を唱えることが人が死ななくて・・・・と考えたのだろう。しかしウクライナの当事者にとって違った。たとえ死んでも自分たちの国、文化、歴史は守るべきだと、愛国心がどういうものであるのか見せつけた。彼らが受けたスターリン時代からの迫害、支配は我々には分からない。だから彼らの立場に立って論理的であるかどうか一歩下がって考えるべきだった。私も、もしこの国が侵犯されたら、このとしでも銃を取って戦うつもりだと決意をもった。

当事者と当事者でないとでは、置かれた責任や選択の範囲が異なることを、後者はあまりにかけ離れて「責任のない」ことを言うのだ。意外とこの国の国民は平気で「妥協」をすすめる。その相手のためを思て言っているつもりだから困る。なにかそれがこの国では「美学」なのか?もし親せきや友達ならば「何か必要な時には言って!!助けるから」と言うのが良識的な関係だと思うが・・・。トラブルは避けて通るのがこの国の「国民性」の様に思える。この国の外交に於いても隣国が戦争の危機に瀕していても、曖昧な態度で距離を置いて見ている。何かあった時にこの日本は助けてもらえるだろうか。最も助けにくい対応の国に明確に答える義務はない。

他人にアドバイスのつもりで「妥協案」を勧める場合、気を付けるべきは自分が年配であるからとか親戚であるとかで一言言ってしまうと、肝心な「当事者」である立場の理解がされているかどうか考えるべきだが・・・・しかしそれなしにいろいろ言うと折角の人間関係も台無しになる。

問題は別の所にある・・・日本に生まれて日本で教育を受けると、周りがそうだからという価値観が身に付いていて、「まず相手のことを考えてあげよう」というのが情緒的であって、論理性が欠如して助けになるどころか「気分を害する」方向に行ってしまうことだ。しかし助言を言ったつもりの方は「なんと理解力のない奴だ」と思うから、感情的なトラブルに発展するだろう。この国の文化でしょう?


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