CubとSRと

ただの日記

準備万端

2018年09月17日 | バイク 車 ツーリング
 ~5月30日の日記より~
 雨だった。落葉松の下でも藤棚の下でも、今日の読書は無理。
 屋内読書にする。
 当然、早々に読み終わってしまって、少々勿体ないことをした、と思う。
 でも、そこはそれ、文明の利器ならぬ年寄りの利器、「すぐ忘れる頭」がある。
 物忘れには自信がある。読み終わってたって何度でも読める。きっとそのたびに読み飛ばしていた所から新しい発見がある。それも面白い。
 けど、それよりも昨日書いた「既に新しい楽しみは見つかっている」、ということ。
 「何度でも読める」のも楽しみだけれど、それ以外に見つかった新しい楽しみ。
 それは
 「カブで来るのと違って、SRなら楽に来ることができる」
 ということだ。
 SRなら、すぐ目的地に着く。けど、カブならちょっとしたツーリングになる。
 カブなら、買い物自転車で近所に買い物に行く感覚で、買い物自転車よりもっとゆったりと長距離を逍遥することができる。
 前につけた籠に弁当と水筒を放り込んで、ちょっと買い物に足を延ばそうというなら空のリュックを背負って。
 そうそう、もっと大きなメリットがあった。カブのギヤチェンジはロータリー式だから、靴の甲が傷まない。用心のためにくるぶしを守ることだけ考えたら、バスケットシューズだって普通のショートブーツだってOK、ということだ。
 普通の靴でOKということは、着る物だって丈夫でさえあればライディングジャケットやレザーパンツでなくても何とかなるということだ。
 つまり、その気になった時、取り立てて用意もせず「ツーリング」に出られる。それがカブだ。
 完璧じゃないか。
 日頃の生活が後ろ向きでなければ、全く問題なく一歩が踏み出せる。
 「その一歩を踏み出して、事故に遭ったらどうする」
 「バイクが山中で故障して助けを求められなかったら」
 「途中で病気になったら」
 「家族に心配かけてもやるのか」等々。
 前を向いて準備を怠りなくやって、体調も万全を期して、心配なことは全くない、となっても、心配の種の尽きることは永久にない。そして、歳をとるにつれて若返る、なんてことは絶対にない。ならば、「今」が最善の筈だ。後ろばかり向いていてどうする。

 これを書いているうちに、以前、田舎で見たニュースのことを思い出した。

 岐阜だったか、70近い男性が、退職後自転車で日本一周をしようと思い立ち、そのためにマラソンや各種トレーニングをやって頑強な体を作り上げ、挑戦を始めた。それこそアスリートのような体が、何度もテレビで流された。
 挑戦は予定通り順調に進み、いよいよ全国一周を達成する、あと一、二日で自宅に到着する、というところまできた。そのあたりになるとまたニュースで大きく採り上げられた。
 それが、本当に後僅かというところで、トラックと接触して転倒、帰らぬ人となった。
 年寄りの冷や水?無謀なチャレンジ?おとなしく家にいれば「元気なお爺さん」で長生きできた?
 この男性はあの世とやらで悔やんでいるんだろうか、と考えた。
 考えたけれど、「悔やんでいる」という結論は出せなかった。
 逆に「途半ばで倒れた」のではなく「目標を追い求め続ける姿勢を、生涯貫いた」のだ、自身はきっとそう納得しているに違いない、という思いばかりが強くなった。
 
 


コメント
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