CubとSRと

ただの日記

「良いとこ取り」を裏返せば

2018年09月27日 | バイク 車 ツーリング
 ~6月20日の日記より~
 昨晩だったか、一昨晩だったか。オイル交換を早くするために次はどこへ行こうか、と考えていた。
 前回と前々回のオイル交換の間隔があまりにも空いていたため、一回替えたくらいではオイルは十分にはきれいになっていない。
 だから今回、もう一度1000キロ走行後にオイルを交換してもらおう。そうすれば、もっと回転が滑らかになるかも。
 そう思っているうち、それなら淡路に行けばよい、と気が付いた。
 明石大橋ができて明石フェリーはなくなった。それまでフェリーで淡路に渡っていた車やバイクは橋を渡っていく。
 それでコペンでも行ってみたし、R1100RSでも行ってみた。
 その感想。金はかかるし、つまらない。
 ゆっくり走ることもできないし、淡々と走って、でもごくわずかな時間で当たり前に着いてしまう。
 橋を否定するのではない、「ツーリングでは」、という但し付きの話だ。
 ツーリングということでなら、バイクも車も一度通ったら、もう一度、という気にはならない。
 以来、淡路島ツーリングには行ってない。(と言っても3年ほど?)
 先日、明石に行った時、小排気量のバイクや自転車なら運んでくれる小型のフェリーがあったことを思い出した。
 こりゃあ梅雨の晴れ間に行っとかなきゃ。
 淡路に行く時の楽しみは、明石大橋をくぐる時。
 あの巨大な橋脚が段々に迫って来て、その真下をくぐる時が最初の大興奮。あんなものを人間が作ったのだ。完成間近の大地震にも耐えて、橋の長さを少し修正しただけで、予定通り完成させたのだ。
 そのすごさは、淡々と渡ってしまったんじゃ分からない。
 ツーリングに関係ない?物凄い景色を見て感動する。それもツーリング。
 バイクは走ってないけど、同じ船上に居る。・・・と強弁しておく。
 それにしても小排気量のバイクでのツーリングなんて、随分してなかったな。
 原付免許取って、3か月目には250になり、2年後には400。大型免許を取ってからだって、既に18年だ。

 大型免許を取った時、SRで北海道に行って以降、90はおろか400でツーリングに出かけることすらなくなった。
 大型は楽だ。所有しているだけで誇らしく、何だか優越感もあった。
 ずっと以前に四国一周をした時、行き会ったBMWのK100RTの人達に、
 「大型は楽でいいよ。免許取って乗ったらいい」
 と言われた。
 大きなお世話だ、と思ったのは彼らが「昔免許」だったからなのか、全員タンデムシートに女性を乗せていたからなのか。でも、悔し紛れに「それは何か違う」と思ったことは覚えている。
 それがいつの間にか「所有しているだけで誇らしく、何だか優越感も~」だ。大型バイクを三台並べ、日替わりで乗っていた。SRは通勤用だし、カブは買い物用だから、別に偏ってはいない。
 けど「車は楽だけど、バイクは楽しぃ」ということを少しずつ忘れて来ていたのかも、と思う。
 何故って「大型は楽」だから。「楽」で、バイクだから「楽し」くって。楽で楽しい。もう言うことなし。
 いいとこ取り、というのは満たされているようで、裏返せば何か物足りなさを感じるということでもある。良いところとは氷山の一角でしかなく、隠れた海中の巨大な氷塊がそれを支えている。氷塊を感じなければ、上っ面を撫でただけ。それで終わりだ。「時よとまれ!お前はあまりにも美しい!」だ。その瞬間、魂はメフィストに食われる。人間じゃなくなる。楽も楽しさも消滅する。
 けど、幸い(?)なことに金銭的な理由で、大型はみんな手放した。

 バイク店で「車に乗るようになったら、バイクには乗らなくなるかも」
 と言ったら、
 「三切さんはきっと降りないと思いますよ」
 と言われたことがある。
 実際、バイクを手放し、車に乗るようになって6年余り。熱しやすく冷めやすい性格のまま、車に乗ることが楽しい、とも思うようになったけれど、今、カブやSRの調整をしてもらって乗ってみると、やっぱりバイクを離れることはできないのかもしれないなあ、と思う。
 
 

コメント
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