CubとSRと

ただの日記

共産主義という「考え『方』」その①

2021年09月22日 | 重箱の隅
 昨日の再掲日記の前に挙げた共産党のビラ。
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  「暴力革命のレッテルはなぜ?」
 市民と野党の共闘をこわすデマ
 日本共産党はどんな場合でも、平和的・合法的な方法で社会を変える党です。〝暴力革命〟などという方針をとったことは一度もありません。公安調査庁が60年以上調べても何も出てこないことが何よりの証拠です。
 市民と野党の共闘をウソで攻撃するーーこんな卑怯なやり方は絶対許せません。


 ・・・・・「何も出てこない」ことより、「60年以上調べられ続けている(そこまで疑われている)」ということの方に驚嘆するんだけど・・・。自慢か?
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 からかう意味で「自慢か?」と書いたんだけど、テレビなんかでは、「平和的・合法的な方法で社会を変える党、って言ってるんだからそっちも紹介しなくちゃ公平ではない」と結論付ける。「公平が第一」、って。定規はどこにあるんだ、正義の「見方」は?

 ということで、また共産党のことについて再掲日記です。分量が多いので、五回に分けますが、ぜひお読みください。例によって手抜きではありません。
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 共産党  ①
            
 2016.09/20 (Tue)

 「共産」ということには問題はない。
 人は集まって社会をつくり、人間としてそれを運営、維持、発展させる。
 助け合って互いにものをつくり、融通し合って個々人が生きていくのが社会だから、「共産」というのは至極当然のことと言える。

 ただ、これが現状維持ではなく「個々人の快適、良質な生活を目指す」、となると、これまた当然のこと、「見果てぬ夢」。
 実現した瞬間に、「より快適で、より良質な生活を目指す」、ことになる。欲望、向上心に限りがないのが人間なんだから。

 だからということで、究極の目的として「個々人の快適、良質な生活の実現」を置き、できるだけ効率的に、と「共産党」と名付けた頭脳集団をつくり、それが人々に指示(指図に感じる)をするようになると、これは近い将来をバラ色に見せてくれるだろうけど、現実には今も将来もとんでもない非人間的な社会を作り出すことになる。
 理由は簡単で、その「頭脳集団」もまた人間であるからだ。人間であるから無私無欲には金輪際なれない。
 「社会は『共産』で成り立っているのに、『命令(指図)ばかりする何も作らない連中』に何で命がけで従わなきゃならんのだ!」
 となる。
 「我々共産党は、『指示』という生産活動を行っているのだ!」
 と言ったって、そんなもの詭弁にしか聞こえない。
 現実問題、党員は明らかに人々より良い生活をしている。人民が木綿の人民服を着ていたとき、党の上層部員は絹の人民服を着ている。 ちょっとしたことでも不満は出てくる。
 当然だ。「頭脳集団」だって、同じく社会を構成している「人間だもの」。


 「月刊Hanada」10月号に「日本共産党の怖さ一から教えます」という論説文が載っていました。
 例によって部分転載をしてみようと思います。

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 「日本共産党の怖さ一から教えます」  梅澤昇平

 日本共産党は、参議院選挙で思惑通りの「躍進」とはいかなかった。
 これは大都市圏への定数増があり、前人気も良かっただけに意外だ。しかし問題は、むしろこれからではなかろうか。
 というのも、定数一人区で野党共闘がある程度成功し、民進党の落ち込みを助けた。これで民進党は共産党に吸い付かれた。切れない仲になったのではないか。そうだとすると大変だ。
 それにしても、日本共産党を知らない世代が増えている。この隙間に、共産党はソフトな顔で入り込んでいる。そこで、日本共産党とはどんな政党か入門してみよう。

 《生まれも育ちもモスクワです》
 党の憲法である綱領も、資金も、ピストル(?)も、ロシアのモスクワ製といわれます。
 一九一七年のロシア革命でソ連ができ、このソ連を守り、世界中に共産主義を拡散するためにコミンテルン(国際共産党)ができ、 各国に種が蒔かれ、中国共産党や日本共産党ができました。
 日本共産党の正式名称は、「コミンテルン日本支部日本共産党」です。

 モスクワからはテーゼと呼ばれた綱領(指令)が送られ、そのなかに「天皇制廃止」があって当時の共産党員はぶったまげ、これはなかったことにしよう、解党しようとなったこともあります。
 それに資金も与えられ、少なくとも八十五万ドル(現在の貨幣価値で三十億円以上)もあった、とソ連解体後機密文書のなかに証拠が残されていると言われています(名越健郎氏論文)。
 それにピストルなど武器も大量に手に入れ、試射を繰り返した(田中清玄『清玄血風録』など)。 このため、警官と匕首などによる刃傷沙汰以外に、銃撃戦も結構ありました。
 つまり、日本の政党で〝唯一〟外国製の政党なのです。

 《「反戦」はモスクワと北京を守るため》
 共産党はよく戦前、戦争に反対した〝唯一〟の政党だ、と胸を張ります。ところがこれは少し話が違うんです。
 ソ連を守り、中国の共産革命を支援し、日本での革命をめざす。そのためには、ロシア革命と同じく、戦争を敗戦に導いて内乱から革命へ、という筋書き。レーニンの革命的祖国敗北主義と言われるものです。

 一九二八年にコミンテルンは第六回大会、帝国主義戦争でソ連が脅かされそうになったら、各国の同志は自国の敗北のみならず、ソ連の勝利のために戦えと決議しました。
 これを受けて、有名な「三二年テーゼ」で日本に指令が来ます。「帝国主義戦争反対。帝国主義戦争を内乱に転化せよ」「ソヴェート同盟と中国革命を守れ」「革命的階級は反革命的戦争(注・対連戦)の場合は、ただ自国政府の敗北を」です。
 この前の「二七年テーゼ」でも、「シナ革命から手を引け!」「ソヴェート連邦を擁護」という指令がありましたが、三二年テーゼでオクターブが一挙に上がったのです。
 つまるところ、日本共産党の「反戦」はあくまで共産主義、ソ連のための「反戦」だったといえるでしょう。

 それに付け加えれば、戦後、日本で〝唯一〟「戦争」をしたのが、共産党ともいえます。
 一九五〇年の朝鮮戦争勃発で、ソ連は北朝鮮軍を支援し、在日米軍を弱らせるため、日本共産党に武装闘争を指令します。
 共産党はこの指令にもとづき、各地で武装闘争、、いわば「内戦」を仕掛けます。「中核自衛隊」「山村工作隊」などを作り、火炎ビンを投げて暴れ、全国の交番を六十九ヵ所、襲撃したといわれます。
 これは戦前にもありました。コミンテルンからの資金援助が途絶えて、銀行ギャングなど荒っぽいことをしでかしています。一九三二年の大森銀行ギャング事件などが有名です。

 (以降は次回に)
 
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 「唯一の外国製の政党」
 「共産主義を守るため『だけ』の反戦」
 
 世の中、聞いてみなけりゃわからない。でも、見詰めれば見えてくることもある。
 外国製の政党、といわれりゃ、
 「成る程、愛国心なんて持つわけないか」
 、となるし「反戦は共産主義を守るため」となると、
 「そりゃ、現国家体制を覆すためには手段を択ばないんだから。平和のための反戦、なんて想定外だよな」
 となる。
 それにしても「天皇制廃止」という指令を見て、「これはなかったことにしよう」「解党しよう」という話になるなんて・・・・。
 
 ソ連成立以前からの、日本の共産主義思想の持ち主からしてみると、
 「日本は天皇の下に(天皇の赤子として)共産社会を形成していた事実があるじゃないか。その無私無欲の存在を何故なくさねばならないのか」
 或いは
 「言いたいことは分かるが、二千数百年の歴史をそこまでして破壊する、なんて恩知らず、恥知らずなのでは?」 
 くらいの思いが拭えなかったんじゃないか。

 でも、結局は解党しなかったわけだ。
 ということは「理屈」で自身を納得させた、ということになる。
 となると、今、国会の開会時、共産党員が出席した、というのは「?????」とならない方がおかしいんじゃないか。




 
 
コメント
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