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ただの日記

共産主義という「考え『方』」その⑤

2021年09月26日 | 重箱の隅
共産党  ⑤これでおしまい

 2016.09/26 (Mon)

 《本音は天皇制反対》
 ところで今年三月、共産党がなぜ破防法(破壊活動防止法)の「調査対象団体」に指定されてきたのか、という質問状が内閣に提出されました。破防法の調査団体は、公安調査庁が調べるところです。
 内閣は、これは従来から続いていることで、共産党は本質的に変わっていない、革命論を捨てていない、との答弁書を出して話題となりました。
 
 「革命」「共産主義」というと、議会制民主主義制度のもとではそれを否定するかもしれない、と疑われても仕方がないところがあるのでしょう。同じ敗戦国でも、ドイツは憲法で共産党の存在を否定しています。
 革命論や自衛隊論以外でも、見逃せない重要なポイントがあります。それは天皇制です。
 実は「天皇制」という用語は、共産党が「君主制」を読み替えて作った造語なので使いたくありませんが、取りあえず使います。

 天皇制をどうするか、これについて共産党自体がはっきり説明しています。
 二〇〇四年綱領の解説版があります。
 「ここが知りたい特集。日本共産党綱領と天皇制、自衛隊、より明らかになった変革の道すじって?」(二〇〇四年三月七日「しんぶん赤旗」)です。
 その一問一答で、「今度の綱領は天皇制、自衛隊を容認したの?」という問いに、
 「共産党は、天皇制や自衛隊を『良い』ものだとは考えていない」
 と答えています。
 綱領にも、天皇制は「将来、情勢が熟したときに、国民の総意によってかいけつされるべきものである」と明言しています。
 最近、共産党はあれほど嫌っていた天皇陛下御臨席の国会開会式に初めて出席して注目されました。共産党も天皇制を認めてソフトな普通の政党になったか、と。

 しかし綱領を見ると、本質は明らかに違います。「良いもの」と思っていないのです。廃止したいのでしょう。
 でも、そうはっきり言うのは得策でない。そこで「国民の総意」で、などと意味不明のことを言うのでしょう。国民投票でもやり、そこで決着しようというのでしょうか。
 政党として大事な問題を「国民の総意」「国民の合意」で決めるというのなら、政党はやめたほうがいいのではないでしょうか。
 政党は重要な政策テーマについて国民にはっきり主張をし、その方向に少しでもリードしていく理念、政策、気概がなければ存在する意味がないでしょう。
 共産党は、その肝心の臍を隠そうとしているといわれても仕方ないと思います。

 《「共産党」を知らない世代のみなさんへ》
 日本共産党は、自由主義社会でほとんど〝唯一〟残っている共産主義政党でしょう。日本共産党も、ソ連崩壊後は振るわない政党になり、衆参の国政選挙では七連敗とか八連敗とかいわれました。党員数も赤旗読者も減少の一途です。国会内でも「はぐれ鳥」でした。それがここ一、二回の選挙で盛り返してきました。なぜでしょう。
 考えられるのは二つ。一つは、野党第一党や政権まで取った民主党、その後継である民進党への国民の失望、二つめは「共産党を知らない世代」が増えてきたことでしょうか。

 民進党は民主党から看板は変えても、その理念、基本政策、党員、地方組織、財源などはいつも頼りなさを感じます。これが、死んだはずの共産党を生き返らせてしまったのでしょう。
 共産党と街頭でスクラムを組んで気勢を上げる、選挙で参議院一人区全区で共闘と、関係を一挙にエスカレートさせました。それも、政権問題や政策の一致は棚上げしてやるという前代未聞の「共闘」です。

 六〇年安保闘争でも、社会党、総評は、共産党と共闘しても同列に置かず、あくまでもオブザーバーに留めました。
 戦後の掟を破り、何でもあり。溺れる者は藁をも掴むといいますが、そんなことをして国民の信頼を失い、やはり政権交代はできない政党に堕落したか、ということになるのは必定です。

 議会政治が機能するには、健全な野党の存在が不可欠です。共産党からの誘惑に乗せられることなく、二度や三度の敗北といった風雪に耐えうるしっかりとした野党を作らないと日本はおかしくなり、共産党に振り回され続けるでしょう。

          (転載終了)

 「月刊Hanada」10月号 「日本共産党の怖さ一から教えます」より

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 共産党は「破壊活動防止法」の調査対象団体。

 「何だか恐ろし気な団体に見えるな。指定暴力団みたいだ」
 と思われるかもしれませんが、「指定暴力団」の方がはるかにまし、です。
 なぜなら、指定暴力団は現実社会の枠の中に在って、公安の監視下に置かれているからです。下っ端の犯罪がトップをも揺るがす暴力団のための連座制。それが「暴力団対策法」といったら大まか過ぎますか。
 それに暴力団は現社会を否定(=破壊)しようとしているわけではない。社会を肯定して、その中で己の団体の勢力拡大に勤しんで(?)いるだけですから。
 対する共産党は?
 初期からの「筋の通った」「全くぶれない」ことといえば、現実社会を否定する、破壊すること。それが革命実現のための必須項目。どちらが危険か言うまでもないことでしょう。
 
 目的のためには手段を選ばない。だから「天皇制反対!」と自分では言わず「国民の総意」「国民の合意」で決めるという。
 政党は同じ考えの者が集まって国民に新しい世界を描いて見せ、国民の賛同を得てその実現に努めるためのものです。
 それが「国民の総意」で決定、ということになると、「責任も国民が取れ」と言っていることになります。
 「絵は描く。だがそれは君たちが実行し、その恩恵は君たちが受けるのだ」
 これを「いいじゃないか、素晴らしいことだ」ととらえる人が今でも多いから、妙なことになる。これ、「君たちは我々に言われる通りに、黙って手足になってやっていればいいんだ」、ということでしょう?

 さらには「現実社会の枠に守られながら(共産党として存続を認められる)、その枠の中で現実社会の破壊活動をする」という絶対矛盾。
 その意味で「筋の通った」「全くぶれない」政党。そんなのは決して褒められるべきことではないでしょう。
 「一目置かれる」べき存在ではないし、同時に「野党」の雄と言えるものでもない。

 「社会を破壊するのが目的」の集まりであっても、それを公言しなければ「党」として存立を認めるのが民主主義ですが、実際の破壊活動までも認めているわけではありません。そこを十分に把握しているから、破壊活動もその責任も、自らの手は使わないで全て国民にやらせようとする「筋の通った」「全くぶれない」政党。
 つまり、共産党は「野党」ですらない、ということになります。
 

 長々と転載を続けましたが、これで終わりです。
 実は、最初はいつもの通り、「部分転載」のつもりだったんですが、途中から、やはりこれは全文掲載の方が良いのではないかと思い、この日記初めての長文の全文掲載にしました。
 「月刊Hanada」10月号を購入されている方には、何をいまさら、でしょうが、雑誌の中の一つだけ取り出して改めて見直すと、意外な発見があることもあります。
 多くの力のこもった論文が並んでいると、やはりそれぞれの特色よりも、気迫、熱量をより大きく感じさせるものの方が心に残ります。
 でも、論文もあれば紹介文もありコラム形式のものもある。「論説よりもまずは共感を得るように」、と意図するものもある。
 それぞれにみんな目の付け所が違うわけですから、単に「気迫、熱量」と「特色」を両天秤にかけるべきではないと思います。

 この共産党に関する論文(講演録の形式になっていますが)は、「日本共産党」の概要を具体的な事例を上げながら説明してありますから、知識と考え方双方に渡って全文転載の方が良いのではないかと思ったわけです。
 いつもの通り、この日記は自身の考え方を整理するために書いているものですから、その意味はあったと思います。
 

 
コメント
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