八代弁護士の件、期待通りというか期待以上というか、やっぱり共産党、「そんなことは言ってない!『暴力で』なんてこと、一貫して日本共産党は言わないし、しない!」と。
で、八代弁護士、「綱領には書いてありませんでした、ごめんなさい。でも閣議決定はされてるから」と言ったら、「謝罪になってないじゃないか!」と言ってたけど。後で「あれを謝罪と認める」と言ってましたよね。
口では『暴力で』とは言ってない。明文化してない。
けど、そもそも「共産主義による革命」ってどういうものだったか、というと、「これまでの社会を全否定して、全く新しい社会を創り出す」ってことでしたよ?
その際、言論(話し合い)でできなければ武力を用いてでも(相手の出方次第=出方論)実行する、と。そして、労働者階級を指導者層が指導することによって成り立つ、と。今のchinaを見れば分かる。日本共産党は違う?共産党成立の理念も違う?そんなことないでしょう。違ってたらそれは共産党じゃない。
今日、買い物から帰ってきたら、共産党のビラが郵便受けに入っていました。こんな記事も。
「暴力革命のレッテルはなぜ?」
市民と野党の共闘をこわすデマ
日本共産党はどんな場合でも、平和的・合法的な方法で社会を変える党です。〝暴力革命〟などという方針をとったことは一度もありません。公安調査庁が60年以上調べても何も出てこないことが何よりの証拠です。
市民と野党の共闘をウソで攻撃するーーこんな卑怯なやり方は絶対許せません。
・・・・・「何も出てこない」ことより、「60年以上調べられ続けている(そこまで疑われている)」ということの方に驚嘆するんだけど・・・。自慢か?
去年書いた日記を再掲します。
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「官費でまかなわれながら国家を壊せと」
2020年12月19日
十五年も前に書かれた本が五年前に復刊されて、その書評がこれです。
今年の学術会議の話題と見紛うばかり。
今回、「国家を壊せと叫んで」はいないだろう、とマスメディアは言いたいでしょうけど、言っていることの中身は「国家の方針には断じて従わない(学問の自由)」、ということ。つまり、「国民としての責任・義務は拒否する」ということですから。
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「松本清張を見直す。(賛美する気は、ありません)」
2016.12/11 (Sun)
題名とそぐわないかも、と思いながら、ですが、宮崎正弘氏のメールマガジンにあった書評を転載。
「事実を見詰めよ」と言われ、いきなり論理的思考を否定されることが最近の風潮ですが、「事実」って大概、数字だったり、ただ表面的な事象だけだったりすることが往々にしてあります。
そして、その深奥に関してじっくり考えようとすること自体、歓迎されないのが最近の傾向のように思うのですが。
思い過ごしでしょうか?
でも、事実は上っ面を見るだけでは掴めない筈です。
上っ面を見ながらも表面にはとらわれず、その内部構造(仕組み)を推測してこそ解明ができる。解明しなけりゃ「事実を見詰める」意味、ないですもんね。
「「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」平成28年(2016)12月12日(月曜日) 通算第5131号」
に、氏の
渡部昇一『昭和史 松本清張と私(上・下)』(ビジネス社)
の書評が載っていました。
なるほど、松本清張という人は、やっぱりこういう物の見方をしていたんだな、と改めて得心させられたような気分です。
以下、転載です。
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あれほど創造性豊かな小説を書いた松本清張も、歴史解釈はでたらめ
『右翼と軍部の結託』か、「GHQとCIAの陰謀」というワンパターン
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渡部昇一『昭和史 松本清張と私(上・下)』(ビジネス社)
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松本清張の小説は殆ど読んだ。
『或る小倉日記伝』、『ゼロの焦点』『西郷札』『時間の習俗』など、ストーリーの詳細まで覚えている初期作品は衝撃的でさえあった。
ところが氏の歴史解釈シリーズとなると、噴飯もの、デタラメ、アジビラ史観である。かねてから、この矛盾は何が源泉なのか、不思議に思ってきた。
同様に松本清張ファンであった渡部氏も、松本の創作世界と歴史評論との落差を考えてこられた。
とくに醜いまでに歪曲された作品が『昭和史発掘』である。
戦前・戦後の『怪事件』は、軍とか、GHQの陰謀と判を押したようなワンパで裁断され、左翼風に強引に解釈され、あたかも「暗黒時代」であったかのように敷衍されている。典型が治安維持法である。
渡部氏はいう。
「治安維持法は悪法の典型のように言われてきましたが、共産主義者達は『現存する体制を暴力でひっくり返す』『皇室を廃止する』と言っていたのですから、政府がこれを取り締まる法律をつくるのは自然でした(中略)。彼ら(共産主義者)は当然、昭和前期=暗黒史観」に立ちます」。
つまり治安維持法に代表される時代そのものが暗いと強調したいわけである。
ところが松本清張は「当時の日本が他国に類を見ないような穏やかで良い国であった側面を殆ど消してしまった」のである。
治安維持法で死刑になった者はひとりも居ない。
歴史的事実は逆で、ピストルをもって暴れていた共産主義を取り締まる警官側で『殺されたり、廃人になるほどの重症を負ったりした数は五十人以上』
非合法時代の共産党書記長だった渡邊政之輔にいたっては逃亡の最中に挙動不審を疑われ、台湾の基隆港で警官達とピストルを撃ち合った。警官は死亡、渡邊自身もピストル自殺した。
黒白という意味でも松本史観は、すべてがあべこべである。
このような反体制側に不都合な事実を、松本はおそらく意図的に書かなかった。共産主義への『理解』が度を過ぎて高かった作家である。
共産主義の活動家で通称『山縣』という有名な共産主義者がいた。かれはソ連へ逃れたが、野坂参三の密告でスターリンによって銃殺された。ところが松本清張は、山縣の死を『病死』と書いた。
その上「松本さんは、戦前の事件であれ、戦後の事件であれ、『陰謀』に繋げるのが大好きです。戦後の事件は殆どGHQやCIAと関係づけ、戦前のわけのわからない事件はかならず右翼や軍部の仕業に結びつけています」
日本は社会の隅々まで明るく、共産主義者は社会から疎外されていた危険集団であったこと、大学に赤教授が蔓延ったが、欧米では大学を追放されるのに、日本では赤がキャンパスに猖獗を極めて、官費でまかなわれながら国家を壊せと叫んでいる。これを放置している日本の現状こそが異様なのではないか。
しかし松本清張は史実をねじ曲げて暗い、とても陰湿な時代だったと逆のことを言い張るのである。
巷間いわれる「松本史観」なるものが、ゴミ箱史観であることを渡部氏は上下2巻にわたって詳細に検証し、決定的な反駁をされた。
本書は2005年に刊行されたものの復刊である。
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これ、十年以上も前の出版物なんですね。
>「治安維持法は悪法の典型のように言われてきましたが、共産主義者達は『現存する体制を暴力でひっくり返す』『皇室を廃止する』と言っていたのですから、政府がこれを取り締まる法律をつくるのは自然でした(中略)。彼ら(共産主義者)は当然、昭和前期=暗黒史観」に立ちます」。
>治安維持法で死刑になった者はひとりも居ない。
共産主義は、現体制を破壊することで共産主義体制を実現しようとするわけだから、当然のこと「現体制破壊」の革命をめざす。「革命」の中身も、「現王朝を断つ」のではなく「現体制を破壊する」わけだから、禅譲などないわけで、結局は武力に頼らざるを得ない。民主主義体制の中で、話し合いで現体制を「破壊する」、なんてことはできないのですから。
そうなると、まずは、現体制を「打倒されるべきもの」「否定されるべきもの」と断定するのは第一段階として至極当然のこと。
だったら「皇室は廃止すべきもの」「戦前は否定されるべきもの(暗黒時代だから)」となるのも、これまた至極当然。
ここには論理なんかありません。「初めに答えありき」、で、この答えは「神」である、ということになります。
それにしても
「治安維持法で死刑になった者はひとりも居ない」
、なんてご存知でしたか?私は知らなかった。
逆に死んだ人は体制側にたくさんいる、なんてもっと知らなかった。
ご存知でしたか?私はこれも知らなかった。
つい昨年のことですよ、「戦争法案反対!」って言ってたのは。今年は隣国では「大統領がすべて悪い!」と大騒動。
大統領、選んだの、誰でしたっけ?選んだ人には責任はないのか?
あ、脱線した。
>日本は社会の隅々まで明るく、共産主義者は社会から疎外されていた危険集団であったこと、大学に赤教授が蔓延ったが、欧米では大学を追放されるのに、日本では赤がキャンパスに猖獗を極めて、官費でまかなわれながら国家を壊せと叫んでいる。これを放置している日本の現状こそが異様なのではないか。
「官費でまかなわれながら国家を壊せと叫んでいる」
これ、読み飛ばすには惜しい一言です。
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