CubとSRと

ただの日記

私も検証してみよう(自分の日記、ですよ)

2021年09月02日 | 心の持ち様
2014.08/12 (Tue)

 「慰安婦」の件について、この4年間に、どんなことを書いていたろうか。
 ・・・・・なんてことを思ったものですから、抜き書きしてみることに。
 何?それじゃ検証じゃない、って?
 そういえばそうですかね。
 まあ、その都度に書いて来たことを時系列順に並べてみれば、それでもまた見えてくることがあるんじゃないかと、思ったものですからね。

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 2010年1月17日
 あの、「従軍慰安婦」のこと。
 「韓国併合時、女子挺身隊として朝鮮人女子が強制徴用され、従軍慰安婦として日本軍に性奴隷にされた」

 何とも悲惨な話で、これが教科書に載り、高校生(一部には中学生も?)の心に、日本軍の暴虐非道振りが日本への嫌悪感を抱かせる一因となったことに間違いはなかろう。

 ただ、私が高校生だった頃には習わなかった話だ。それに、もうだいぶ前から、これは捏造だ、という、一方の説の存在も知っては、いた。
 だから、これをどうやって、捏造だと証明したらいいんだろうか、
「捏造だという証拠はあるのか?なかったら認めるしかないじゃないか」、と言われたら、そこで終わりになってしまう。

 それが、「もっとしっかり読んでいれば、簡単に分かることじゃないか」
と、ヒントを与えられたわけだ。

 著者のお母さんのセリフ。(陸軍病院の看護婦長だったそうだ)
 
 (母は)「何をバカなことを」と吐き捨てるように言った。」
 「従軍と言えば軍属よ。従軍記者、従軍カメラマン。従軍看護婦。戦死したら靖国神社よ。従軍慰安婦などと、こんなバカな言葉はなかった。」

 「従軍」とつけば軍属。名誉の戦死は英霊として靖国神社に祀られる。 ということは「従軍慰安婦」は軍属となるから、戦死すれば靖国に英霊として、、、、馬鹿な。靖国神社の霊璽簿に「軍属 慰安婦 何某」というのがあることになる。
 「朝鮮人は性奴隷にされたんだからある筈がない。」?
 いやいや、日本人のがある筈ではないか。
 
 つまり、慰安婦は「従軍」なんかしない(と言うより、できない。許されない)のだ。慰安婦は軍にくっついて(一緒に、ではない。追軍、だ)行って、それぞれの駐屯地で商売をするのだ。
 言葉の意味を、ちょっと冷静に考えたら分かる。
 
 「女子挺身隊」も同じだ。「挺身」というのは身を捧げる、身体ごと投げ出して尽くす、と言う意味だ。
 だから、普通、「女子が国のために何かの仕事に就いて命がけで働く、隊」となる。
 それがどうして「女子が身体を投げ出す、と言ったら売春しかないだろう」となる?日本人に、こんな発想は、ない。           
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 2011年3月03日
 「自虐史観から抜け出す」。焦点をそこに置けば失敗します。
 抜け出した、と思った端から、次々と新たに捏造された「事実」が突きつけられます。それを論破するのは容易ではありません。
 でも、「謙虚ではあっても自虐的ではない」としっかり捉えようとすれば、段々に分かるようになる。
 あの「従軍慰安婦」問題だって、「従軍」とつけば、「軍属」。「軍属」は死んだら、靖国神社に行き、霊璽簿に載る。慰安婦何某なんて、存在しない。付いて行ったことは「従軍」とは言わない。

 「謙虚である」というのは、「相手の言い分を丸呑みする」のとは、少し違います。「いざという時、まず、全てを投げ捨てる心持」です。そこに卑屈さはありません。
                                  
                              
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 2012年6月30日
 デパートが一流品ばかり並べるように新聞だって、・・・と思うんだけれども、現実、そうではない。粗悪品や偽造品、中には捏造品なんてのもあったりして。
 「百人斬り」とか「従軍」慰安婦、なんて言葉、新聞社の「製品」でしたね?
                                 
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 2013年1月20日
 字典を見れば、それぞれの捉え方の違いが分かります。
 「挺身隊」と言えば、「全身全霊で事に当たる」と言う意味であって、その「崇高な精神性」を賞賛されることはあっても、「身を挺する=売春」とか「女子挺身隊=性奴隷」などを意味する、などあり得ないことです。  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 2013年4月01日
 ぼやきくっくりさんのツイートです。
 あまりにも見事、というか、簡明で分かり易いので、転載させてもらいます。
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  従軍慰安婦 
  命名は千田夏光
  捏造は吉田清治
  煽った青柳敦子
  ウソと断言済州新聞

  なのに拡散朝日の上村隆と福島瑞穂
  証拠もないのに認めた加藤紘一
  おわびと反省した河野洋平
  国連に持ち込んだ戸塚悦朗
  これを国会で問題にしたのが中山成彬
  画像を消しているのがNHKの倉又俊夫

  http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1357.html

                              

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 2013年5月30日
 何度か書いたことがありますが、「従軍」というのは文字通り「軍に従う」という意味です。
 「軍に従う」とは「軍属」ということです。軍に属する者。
 ならば軍と共に行動するのは当たり前。だから、強制性はある。
 「軍属」だから、勝手に離脱はできない。
 で、当たり前のこととして戦地で死ぬかもしれない。
 だから、その場合、「軍属」は靖國神社に祀られる。

 慰安婦は「軍属」か?「軍に従」ったのか?
 「軍が集めることや移動に関与したのは事実」。
 業者に要望すれば関与したことになるし、危険回避のために軍の移動の際に一緒に移動させても関与したことになる。

 米英の現地での「自由恋愛」、というやり方が詭弁でしかないことは、彼等自身が一番よく知っている。金銭、物品のやり取りがあるからだ。
 しかし彼らは強弁する。それ(慰安婦の存在)を肯定すれば彼らの社会が成り立たなくなるからだ。

 ついでに。人身売買は奴隷制そのものだ、というのが米英の考え方であり、だから、娼婦としてであろうが何であろうが「売買されるのは奴隷」。
 ということで「性奴隷」という、日本人から見れば、何とも禍々しい表現になってしまう。
 勿論、「人身売買」を「奴隷制」と捉えてしまったら、労働力として売られた黒人奴隷も、遊郭の花魁も十把一絡げになってしまうわけで、我が身を犠牲に、と身を投げ出した日本の多くの未亡人女性の心のうちなど一切顧みられなくなる。
 ただただみんな不憫だ、と言い募ることは、却って、彼女らの一生を冒涜することになる、とは思わないのだろうか。
                                  

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 2014年2月28日
 高校生の頃だったか、「赤線」のなくなった今、日本人が朝鮮に喜々として「妓生観光」「妓生ツアー」に行くという記事を新聞で読み、何とも情けなくなったことを思い出しています。
 勿論、「従軍慰安婦」なんて言葉は聞いたこともありませんでした。
 「まだ、できてなかった(そんな呼称はなかった)」んですね、その時は。
 1971年。昭和46年のことです。
                                
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 2014年3月08日
 「女性を勤労挺身隊として動員」
 ということですらまともに捉えもせず
 「慰安婦として連行されたんだ」
 と思い込んでいる人が多い、ってのは一体どういうことなんでしょうね。

 日本軍の場合。
 「軍が慰安所の設置を要望した」
 「開所には、軍が便宜を図ってやった」
 「軍医が診察をしていた」
 「危険回避のため、移動時には護衛もした」
 だから、軍の関与があった。強制連行された。性奴隷だ。・・・?

 米軍等。
 「軍は要望も便宜を図ることもしなかった」
 「恋愛は自由である」から、売春婦が軍について来ようとも、現地で、地元の婦女子と恋愛をしようとも、軍は関わらない。
 勿論、軍医が診察をするのは兵士だけ。

 「自由恋愛」。上手い口実じゃありませんか。
 「お金を払う自由恋愛」、って何だ、そりゃ?
 「百人斬りの名の下に斬殺された」
 「(人数は問わず)斬殺の事実はあった」
 だから
 「百人斬りは、あった」
 脱線しました。

 大体、彼の国の「挺身隊問題対策協議会」という名称、おかしいでしょう?
 何で、「勤労挺身隊」=「慰安婦」、なんです?
 「女子の勤労」って、「慰安婦」なんですか?
 あの戦争で「女子(勤労)挺身隊」となった日本の婦女子は、みんな慰安婦にされたということになりますよ?

 或る時は「昭和14年に17歳」だった少女が、別な時には「昭和16年に17歳」になり、「女子挺身隊」として連行され、慰安婦にされた。「女子挺身勤労令の公布は19年8月」なのに??

 この件の重要な関係者である「植村隆」記者については、ウィキペディアでご覧ください。
 言ってみれば、今大問題になっている慰安婦像建立等、一連の日本叩きの切っ掛けになっている人物です。

 あった、と言い立てることより、なかったと証明する方が何倍も難しい。
 「なかった」という「証拠」が「ない」のですから。
 「あった」という「証拠」はいくらでも「捏造」できます。
 一般には「捏造」と言わないで「嘘」と言いますけどね。
 そして、「嘘も百回吐けば真実に」、です。
 
 世界中に慰安婦像が建てられれば、
 「像があれだけあるんだから、真実に違いない」
 、となり、
 「河野談話で、『あった』と証明されているではないか」
 、と。
                              

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 ざっと挙げてみました。
 「慰安婦」という言葉だけで検索してみたら、40件余りの日記に書いていましたが、「時系列で~」という枠組みの中では、ここに挙げたものが主になりました。

 お気付きのことと思いますが、最初の日記、これは若狭和朋氏の「日本人が知ってはならない歴史」三部作の中に在った文章からです。
 氏の御母堂の口を衝いて出た憤懣の言葉を拝見して、ハッと気が付き、それからやっと「そう言えば・・・」と高校生の頃からのことを思い出し始めました。
 妓生(キーセン)観光と称する破廉恥な朝鮮旅行についての記事を読んだことを思い出す。当時の日本の会社員の下卑た行動が恥ずかしかった。
 「慰安婦」が現金ではなく軍票で支払われた代金を換金せぬうちに敗戦となったため、軍票が紙くずになってしまった。国はお金を払ってくれないという、といった記事を読んだことを思い出す。
 「どうにもできなかったこととはいえ、今の政府には何とかしてやろうという気はないのか」
 、と、まるで、生涯に受け取った軍票を一度も換金しないまま持っていたかのように思い込み。

 「戦後がそうなんだから、戦前、戦中もそうだったんだろう、日本軍というのは汚い手を使って、結局は金を払いもしないで良いように売春婦を利用してたんだ。最低な軍隊だったんだな」
 そんなことを、高校生の頃は思ってました。
 でも、「慰安婦は高給取りだった」とか「朝鮮人の慰安婦は人気がなかったけれども、日本人の慰安婦は将校の相手に呼ばれていくので、兵隊は専ら朝鮮人の慰安婦のところに通っていた」、なんてのも、本(?)で読んでるんですよ。

 それが最終的に日本が全て悪い、という印象になって記憶されている。
 何故でしょうね?・・・なんて聞くまでもありませんね、それが印象操作、というやつです。大袈裟に言えば洗脳です。
 以前に書いた、私の父の南方での戦争体験(2010年4月18日の日記)。何だか「おとぼけ戦争日記」、みたいな気がして、どうしても現実味が感じられなかった。

 「戦争というものは悲惨なものだ、残酷なものだ」と教えられている、それは確かにその通りなんだけれども、毎日二十四時間戦い続けているわけではないんですから。却って平穏な時間の方が多いでしょう?戦地では。
 悪いところ、酷いところは当然ある。
 でも、それが全てだ、というわけではないのに、何だか最終的には
 「日本は酷い事ばかりした。史上最悪最低の軍隊だった」
 となって、敗戦後の日本人も全てそんな風に
 「最低最悪の国、それに騙されていた国民」
 と言われる。分断政策の一例、「国と国民の分断」、ですね。

 そんな目で全てを見てきた。
 それが、少なくとも若狭和朋氏の著書から一気に錆び付いていた歯車が回り出し、思いもよらないところの隠し扉が開いて、そこから見える世界は以前と同じ世界なのに全く違って見えだしたような、といったところでしょうか。

 頭の中が整理整頓されて、昔から「そんなこと、分かってたよ」、というような、辺りを見下すような視線で見ているように周囲からは見えるかもしれない。
 それは確かに傲慢というものだ。ただ、まだまだ知らぬことだらけだし、考えも深まってないから、傲慢になってはいない、ということは自信を持って言える。(って、それが傲慢?)

 ネットが発達したからと言って、情報をいくらでも入手できるようになったからと言って、肝腎の自分がそれを活かす能力を持たなければ、またそれによって考える能力を持ち合わせていなければ、何にもならないどころか手枷足枷になってしまう。
 多くの情報を収集するよりも、手元にある情報を何度も何度も吟味し、組合せ、並べ直し、することで、考えを深め、自家薬籠中の物、どころか自らの血肉と化してしまうことの方が大事だろう。

 これが慰安婦を一例としての、私の日記の検証です。




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