3月16日(土)
「三日に一度(中二日置いて)酒を飲んでも良いことにする」。
そう決めてからどれくらいになるだろうと今調べてみたら、思った以上に続いている。どうも今年は5年目に入っているみたいだ。
その我ながら驚いてしまう「三日に一度」の新習慣を、一日ずらして三日、間を空けるという離れ業!
その原因となった道の駅での「牡蠣祭り」が、今日・明日と開かれる。
あっさりと言ってしまえば待ちに待った牡蠣祭り。
そのために酒を一日我慢した。なんて食いしん坊なんだ!
田舎ではこういうやつを「口卑しい」と言った。そんな恥ずかしいことをするな、と叱られた。
「そうだ!食い物のことを大の大人がああだこうだと恥ずかしい。自分はそんな大人にはならんぞ」と思っていた。
しかし歳を取るにつれて、美味しいと言われるものを実際食べてみても「?」みたいなことがあったり、反対にあれだけ毛嫌いしていた苦手な食べ物が意外に美味しいと思い始めたり。
想像の埒外というほど(これまでの価値観が崩壊するような)美味しいものはなく、逆に想像範囲の内に在った苦手だったものが、単なる食わず嫌いだったが故の決め付けでしかなかったことが段々に分かるようになってくる。
大人になるまで牡蠣は食べたことがなかった。
だから一度は食べてみたいと思ったり、わざわざ泊りがけで名産地まで食べに行ったりする旅行好きの話を聞いて「そこまでして食べるものか?」と急に白けたり。
そんなだから本当に新鮮な牡蠣を食べたことがなかったのだろう。職に就いてから偶然に天然の岩牡蠣を食べる機会がなかったら、「別に無理して食べるほどのこともない」、と今も思っていたかもしれない。
・・・・なんてことを書いたが、些か大袈裟なような気もするし、反対に、もっと褒め称えても良いかもと思ったりもする。
「蕎麦切り(笊そばで)」だって「板状にしてない天然の岩海苔」だって「養殖でない岩牡蠣」だって、職人や漁師の意気込みを想うことなく、こちらはただ「食べてる」だけだ。
ん??何か端から妙な方向へ向かっているぞ?
「食いしん坊」「口が卑しい爺さん」が「牡蠣フライと牡蠣飯」を買いに行く日記じゃなかったのか??