CubとSRと

ただの日記

今度はSR

2018年09月25日 | バイク 車 ツーリング
 ~6月14日の日記より~
  午前中にSRをバイク店に預け、一旦帰る。
  他の用事を済ませに出かけ、夕方バイク店に行く。そういう予定。
  改めて調整の終わったカブで出掛け、用事を済ませて店の前を通ったら、ちょうど作業の真っ最中だった。
  横目で見ながら、
 「終わるのは夕方だから、とにかくまっすぐ帰ろう」
 と思ったのだが、滅多に見る機会はないんだから、と思い返してUターン。作業の様子を見せてもらうことにした。
 バルブクリアランスの調整はネットで見たのと同じ(当たり前か)で、まずシートを外し、タンクを外す。
 そうしなくてもできるらしいが、修理や調整の際の自由度が桁違いになる。確実に、正確にやるには、やっぱり「段取り八分、作業二分」なんだな、と妙に感心する。
 自分なら、とにかく行き当たりばったりで取り掛かり、二進も三進も行かなくなって、もう一度ゼロから始めるか、SOSを発して人任せにするか、だろう。
 カムの当たるヘッドの部品が吸排気とも摩耗していたので取り替えました、と言われ、部品を見せられる。
 小さな、てっぺんが丸くなっている部品なんだけど、真ん中に凹みができている。「点滴、岩をも穿つ」だな。
 どっちが吸気でどっちが排気の部品なのかは聞かなかったが(聞いてもあまり意味がないようで)、間違いなく新品ならあり得ない形になっていた。
 「場所もないし工具も揃えてない。何より加減が分からない」
 そんなことを言うと
 「やっぱり、締め具合とか緩ませ方というのは、普段してないと、ですよね。仕事にしている者との違いはそれだけかもしれません」
 締め具合や緩ませ方、って基本中の基本なんだから、「それだけ」というのは、実は大きい。大きな差だ。
 以前、自分でやろうとしてその「締め具合の加減」が分からず、ボルトを捩じ切ってしまったことがある。
 随分昔のことだけど、確か、助けを求めに持って行ったはずだ。(走行に問題のないところだったので、セーフだったが。半日くらい自己嫌悪。)
 十年ほど前、同じところを一度調整をしてもらっている。他の人から「故障じゃないか」と言われるくらいカタカタうるさかった。何より癇に障った。走っている時の心地良さは半減している。
 それがほとんど音がしなくなって、今回もその頃と同じようにエンジン音が静かになった。
 併せてオイル交換もしてもらったので、いきなり快調になったカブと同じ現実に包まれる。
 また、幸せな気分になった。


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ツーリング!

2018年09月24日 | バイク 車 ツーリング
 ~6月13日の日記より~
 もう月半ばだ!驚いた!何でこんなに時の流れは速いのか。
 今月は想定外の出費が相次いだ。
 ん?間違ってる。何も想定なんかしてない。
 いつも通りの行き当たりばったりで、あわあわ言ってるうちにお金に羽が生えて飛んでっただけだ。
 
 二十年買い替えてなかったカブ用のヘルメット。シールド。SRのサイドバー。カブとSRのバルブクリアランス調整費。SRの任意保険。地方税。・・・ということで、今月は間違いなく赤字だ。
 「まあ、しょうがない。全部自分のためのことなんだから」
 、と理屈で抑え込む(努力をする)。
 しかし、金がない、と言ったって500円くらいは何とかなる。500円もあればカブのガソリン代くらいは出る。150キロ以上走れる。
 酒代はともかく、酒の肴は自分で作れば良い。・・・ということは?
 ツーリングだ!

 そういうわけで7時頃、例の「やっつけ弁当」をつくり、六甲山上の展望台へ向かう。見晴らしがもう一つだったから、早々に退散。
 表六甲ドライブウェイから鶴甲(つるかぶと)を通ってハーバーランドに回り、「BE KOBE」のモニュメント(?)のそばで昼食。
 あとは先日の書店に行って、「スーパーカブ」の挿画を描いた博(ひろ)という人のマンガ「明日(あけび)ちゃんのセーラー服」というのを試し読み。
 あの小説には根本的に合わない絵のように思うが、反対にこれほど似合う絵もないのかも、と思ったりもする。
 挿画がなければ、武骨で不愛想な(名前からして『小熊』だし)、こじらせ親父のようになっていくのだが、見てくれというのは大事だ、この絵のおかげで女の子だったことを思い出す。不愛想な熊の子みたいな女の子と、可愛らしさだけで成っているような女の子が融合する。途端に今度は、逆に健気と言ってもいいようなひたむきな生き方が見えてきて、読んでいるこちらの方が元気になってくる。
 今更ながらに挿画というものは重要なんだなと思わされる。
 これだけで、帰って来た。
 ツーリングと言えばそれなりの距離を走って良い景色を見て美味しい食べ物を食べて、だった。
 そこそこ走らなければ消化不良というか、何だか物足りないという気持ちが残るようで、つい日が傾くまで目いっぱい走って、だったのだが、今頃になってやっと、前に書いた「心地良く走る」ということを思うようになった。
 何しろ50キロ前後で走っている時のカブの振動の心地良さときたら。
 マッサージ機だって、こうはいかない。
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乗り心地

2018年09月23日 | バイク 車 ツーリング
 バイクに乗り始めて数年くらいは、できることは自分でしなけりゃ、と思っていた。
 プラグの点検、チェーン調整、ブレーキやアクセルのワイヤー点検等々。
 でも、この辺はそうそう傷むものではない。天災と同じくらい、忘れた頃に不都合が出て来る。
 大体、「乗車前点検」として、点検項目は自動車学校で教えられるから、それだけを励行すればいいだけのことなんだけど、自分のバイクだ、目視確認だけではなく、やっぱり最初に書いたことくらいはできなくちゃカッコ悪い、と。
 それが「点検」はともかく、チェーン調整一つとっても左右の調整ネジを刻まれた目盛りに合わせて締め込むだけ・・・なんだけど
 「タイヤ、まっすぐになってるんだろうか。目視や目盛りだけでは大雑把すぎるんじゃ・・・」
 と気にし始めると、もういけない。
 エンジンオイルの交換だって、「後始末が面倒だから」と揚げ物だって作らないような奴が、それなりの分量の廃油の処理はどうする、となると、二の足を踏んでしまう。
 
 それでも、チェーン調整は何度かしたことがある。でも、リアシャフトに割ピンを、なんてことになると、その都度用意しておかなきゃならない。
 それで生来の怠け者だ、先日の「やっつけ弁当」みたいなわけにはいかないから、「段取り8分作業2分」のバイク整備はバイク店に丸投げ、が当然の姿となって気が付けば30年。
 
 乗っている時の楽しさに比べ、手入れをする云々は真面目に取り組んでそれなりの技術が身に付かなければ、見えにくい楽しさだ。
 それに何より、自分が乗るバイクだ、「稚拙な整備でも、とりあえず走ればいい」か、それとも「プロの技術で適切な修理・整備。満足できる乗り心地」を採るか。
 ・・・と言い訳をして、「いや、これは本当のことだろう。気持ちよく乗りたいんであって、プロの整備技術を得たいから、じゃない」と気づく。
 
 以来、乗っていて妙な感触があれば、すぐにバイク店に寄って聞いてみる、即答される解決法に従う、という安易なバイク生活を送って来たわけだ。おかげで、重大な問題は未然に防げたことが多い(と思う)。
 そういうわけでカタカタという音も、乗り心地から、おそらくはSRのそれと同じもので、重大な問題ではないが、放って置いたら乗り心地(感触も含めて)が良くなる(カタカタ言わなくなる)などということはない、と予想した。
 で、早速店に行ってみた。
 シリンダーヘッドのタペット音だろう、ということだった。バルブとの隙間調整をする必要がある。隙間が大きくなると当然、金属同士のぶつかる音は大きくなる。
 ヘッドを開け、隙間ゲージで様子を確かめながらナットを締める。そのため、エンジンが冷えてからでなければ作業ができない。
 その作業のために数日後、昼前にカブを持っていき、夕方に受け取ることになった。
 
 約束の時間より少し早めに行ってみると「まあ、掛けてみて下さい」と自信の発言。
 
 掛けてみた。言うまでもない。
 カタカタという音が消えたわけではないけれど、全く気にならないようになっている。音がしなくなることはあり得ないのだから。
 当然、次の一言を言った。
 「SRもお願いします」。
 2日後はSR。
 

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僕を見かけませんでしたか

2018年09月22日 | バイク 車 ツーリング
 ~6月12日の日記より~
 4時に目が覚めた。
 眠れそうにないので、しばらく血圧を測ったりストレッチをしたりして散歩に出る準備をしていた。
 4時半を過ぎた頃、ブログの更新を、と思ってPCを点けたら、森田童子が4月24日に亡くなっていた、というニュースが・・・。
 歳が近い筈と思っていたが、やっぱりそうで66歳だったらしい。
 実際に活動していたのは8年ほどで、その中でもおそらく最初の3~5年、いや3年ほどだろうか、注目されたのは。
 最後の頃、LPが出された時に、何度目かのNHK-FM出演もあった。

 それから十数年経った時、森田童子の曲は「高校教師」というテレビドラマで再び脚光を浴びた。
 知らない世代からすると、
 「こんなに感傷的で切ない歌があるのか、この声からすると女性だろうが、名前が『童子』って?」
 みたいな感じ。
 当人は戸惑っている、という話が聞こえてきたが、ついに人前に姿を見せることはなかった。
 学生運動が背景にあるけど、全く論理的でない、抒情的と言うより感傷的、あまりにも後ろ向きで死ぬことばかり考えている、死への憧憬ばかリを歌っている。
 「学生運動が背景にある」と書いたけど、飽く迄も「背景」、書き割りみたいなもんで、バックボーンでは決して、ない。
 学生運動が失敗、挫折、下火となるにつれて、「革命」の熱に浮かされて斃れることを感傷的にとらえていた若者も減っていく。
 童子の歌は段々に聞こえなくなっていった。
 十数年後の脚光は、抒情的な、あまりにも感傷的な面にばかり当てられた。ただの「背景」だった「世の中を変える」という色、熱、はそこにはなかった。

 少し遡って。
 吹き荒れた学園紛争の嵐が過ぎ去った頃、学園紛争と全く縁のない学校に入学した。
 日米安保条約の自動継続が成った2年後のことだ。
 そして革命を謳う学生運動とは、まるで反対の学生生活を送った。
 4年後、それなりにまなじりを決したつもりで、社会に飛び込んだ。
 浦島太郎の気分だった。
 対立する筈の「革命のためになら斃れても良い」と言っていた奴らはどこに消えたのだろう。

 森田童子のLPはほとんど持っている。けど、これを聞くとこっちまで生きているのが嫌になるような気がする。
 だから、気が滅入っているような時は聞かない。
 30過ぎて神経が鈍くなったからか、それとも、「感傷的」、と余裕を持って対する分別がつくようになったからか、また聞けるようになった。
 
 34歳でバイクに乗るようになり、泊りがけのツーリングに出るようになると、GB250クラブマンで走る頭の中で、いつも、童子の「僕を見かけませんでしたか」が流れていたような気がする。
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目的は「心地よく走る」こと

2018年09月21日 | バイク 車 ツーリング
~6月10日の日記より~
 5時に目が覚め、御飯を仕掛け、7時に起きてシャワーを浴びる。
 炊き上がった御飯で弁当を作る。
 弁当と言っても卵焼きをつくっただけで、他は昨晩のおかずの残りや、買い置きの漬物程度。
 御飯を俵型のおにぎりを作る「型」に詰め込み、味付け海苔を巻く。
 これでやっつけ弁当、できあがり。
 
 名所旧跡やイベント会場などを訪れる、或いは美味しいものを食べに、と、目的をでっちあげてツーリングに行く。
 でも本当の目的はただ、「走ること」。
 世間一般に言う「目的(或いは目的地)」は、世間一般に言うための言い訳、でしかない。
 「心地良く走りたい」だけ、だから弁当を持って出かけるのは正解。
 「金?あるよ。いつも食べたいものがあるから出るんだ、それがオレのツーリングだぜ!」
 というのは、それはそれでいいんだけどね。
 「『食いしん坊ツーリング』に徹している」。
 うん、いっそ潔い。
 私は金がない。だから心地良さに特化する。今、思いついた(どこかの大統領みたいだ)。

 東条の道の駅に行き、酒の肴用にホルモン焼きそばを買う。それだけで出る。
 土曜だからだろう、ツーリングのグループらしいのが記念写真を撮っている。
 いくつものツーリンググループと擦れ違う。
 まさかカブの前かごに弁当を入れてソロツーリング気取ってる、なんて、誰も思わないだろうな。
 いや、気取ってるんじゃない。本気でショートツーリング決行中だ。
 南下して三木に向かう。年に二、三度しか寄らない喫茶店に行く。
 「今日は・・・、車ですか・・・?」
 車にしては暑そうな、けど、バイクにしては軽装だし。と思ったのだろうか。
 小さなショルダーバッグ一つ、というのが我ながら妙と言えば妙だ。
 「今日はカブで来ました」
 さらに南下、明石に出る。稲荷山から明石海岸へ。
 大蔵海岸公園で、用意した弁当を出して昼食。
 「スーパーカブ」の主人公の女の子、小熊は観光色の強い避暑地清里で、気圧されぬよう精一杯胸を張っておにぎりを食べ、ソフトクリームを食べていた。
 こちらは長閑な初夏の海。(ただ、ちょっと暑過ぎる。)
 明石大橋が海峡をまたぎ、眼前に広がる淡路島につながっている。大きな景色。 
 この景色の中だ、お洒落な街並みなんかあったとしても色褪せてしまう。
 それが証拠にやっつけ弁当がキャンプのカレーライスに負けてない。
 カブのエンジン辺りからカタカタという音がする。
 気になる。耳からか、それとも振動からか、角のある感触が伝わってくる。
 SRのほどではないけれど、同じような感触だ。
 バイク店に寄って聞くと、やっぱり。シリンダーヘッドのタペット音だから、バルブクリアランスの調整をしようということになる。
 冷えてないとできない。ヘッドを開けるとガスケットも替えなきゃならない。

 今日、120キロくらい走ったろうか。
 
 つい先日のことだ。
 オイル交換をしてもらって、見ず知らずの人にチェーンにオイルを注してもらって。
 耳から入るエンジン音、それに排気音。身体に伝わってくる振動。こんなに気持ち良くなった。
 いや、元々は、こうだったんだろう。
 そうなると、バルブクリアランスの調整をしてもらったら、どんなことになるだろう。 
 
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