前回「創氏改名」のことについて再掲載しました。
・「身分制度から脱却できる」
・「奴婢から『人間』になって人としての生活ができる」
貴族や両班たちはそれ以下の層を使役する権限がなくなります。
「姓」を得た(新しく創ることができたわけですから)彼らはもう支配者層の言うことを聞かず自分の生活を営むことだけに全力を注ぐことができる。
「創氏改名」は結果として身分制度を破壊することになるから、当然自分たちの生活ができなくなる貴族や両班等の支配者階級からは猛反対されます。加えて、創氏改名した元下賤の者と同じになるなんて屈辱以外の何物でもない。
これは日本だって士農工商から士族・平民と一括りになった明治時代、穢多・非人とされていた最下層を「平民」にしようとしたら元農工商の人々が猛反対し、やむを得ず「新平民」という階層を作らねばならなかったことと感情的には同じでしょう。
「士農工商の廃止」だって日本の辿り着いた考えの一周先を行くものだったんだから、「創氏改名」なんてのは、朝鮮の一般常識の二周も三周も先を行く考え方だったと言えるかもしれません。
その「創氏改名」が「日本人が朝鮮の土地を奪った」というとんでもない誤解を生むことになる、と。「事実」は「日本が土地を作った」。
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「併合と習ったはずなんですが」
2010.10/24 (Sun)
先日の菅(かん)談話。返す返すも残念ではあります。
概容は総理でなく、官房長官が作ったものと確信していますが、いずれにせよ民主党に問題があり、もっと言えばそれを選んだ日本国民がもっと反省すべきことです。
にもかかわらず内閣の支持率は60%もあり、尖閣諸島に関する一連の事件応対の不手際があっても、まだ45%近くある。
反省は全く為されていない。
気になるのはNHKをはじめ、大半のメディアはこの談話に関してすぐ「朝鮮の植民地化」というような表現をすることです。
はて?いつ日本は朝鮮を植民地にしたろう?
学校では「日韓併合」、「韓国併合」と習ったはずです。
それどころか、この日記の初めの方で韓国が独立国になったのは日清戦争の講和条約(下関条約)第一条で、日本が清国に朝鮮を独立国として認めさせた時が初めてと書きました。「棚からぼた餅」の独立だったと書いた覚えもあります。
植民地というのはそこに宗主国の人間が住み、現地にある資源や産物等を、入手、或いは収奪することで利を得るためのものではなかったですか。
何ら手を加えることなく、雨が降れば氾濫を繰り返すだけの川原に、「人」として名字を持たない「奴婢」が住む。
両班層は生産をしない。だからといっていざという時に我が土地と領民を守るために武器を持って戦うわけでもない。
商人は居ても、とにかく生産業、工業、といったものが家内制手工業から先へ進まない。
植民地にする旨みのかけらもないところに、日本は河川整備、学校建設、戸籍作り等、国家予算の相当額をつぎ込んで生活を安定させようとした。
これのどこが「植民地化」なんでしょう。
「国家百年の計、と言うんだから、先の旨味をつくるためじゃないか?」と思った人は、現実の日本を見ればいい。
そう簡単にはできないからこそ、「国家百年の計」なんて理想に近い目標をあらわす言葉が使われるんです。国内でさえできないのに、国家予算まで削って朝鮮のために、ですよ?
これはやっぱり、身近な感覚で言えば「新興アジアの優等生として西欧列強に評価してほしい」、という自意識の問題でしょう。司馬遼太郎は、そのようなことを書いています。
「併合だったら、何で創氏改名、皇民化教育なんてやるんだ!日本人が土地を『買い漁っ』て、地主になっているじゃないか!」と言う人々がいて、実際それは大きな問題みたいですが、「日本人が知ってはならない歴史」の著者、若狭和朋氏は、そのトリックを実に鮮やかに説かれています。
先に述べた河川敷。洪水時に冠水を繰り返す、であるが居住するところ。そこを整備したのは日本です。そこに住んでいたのは?。
戸籍をつくる時、族譜を持たない彼らは、「創氏」するしかありません。
住所は、「元、河原」。日本によって整備された元河原は、「元、河原の住人」の土地になります。彼らが名字を持ち、地主になるわけです。
その名前ですが、朝鮮名をつけようとすると、族譜がどうのこうのという問題が出てくる。
ならば、日本風の名字をつければ良い。それなら族譜の心配はしなくていい。これが「創氏」の実態です。
「日本名の方が都合が良い、便利だ」、というのは、「日本での生活が」というより、「朝鮮の身分制から解放される」ということなのです。
名字のなかった者が日本風の名字をつけ、日本に整備してもらった「洪水の心配のなくなった河川敷(=土地)」に住み、そこを田畑にして住所もそこにする。朝鮮人であるよりも、日本人になった方が良い。
・・・・・つまり、日本人が河辺の田畑を持った地主になる。
実情は、だから「日本人が土地を買い漁って」ではなく、日本によって名前と土地を同時に手に入れた元奴婢が「日本人になった」ということだ、と。
さらに、つい思い違いをしてしまうこと。
「併合」・「合併」というと「一緒になる」という意味だから「対等だ」、と無意識に思っていませんか?
「しかし」と若狭氏は言います。「会社が対等合併ということはほとんどない」
国もそうですね。国力が同じ国同士、合併なんてしますか?会社も。
対等だと思うから「同じでないとおかしい」、となる。
けれど日韓の合併後、軍人、政治家等、元々の両班層から出た人は、そのままの姓を名乗って軍、国会(帝国議会)で活動しています。
対等ではなくとも合併したら同じ国民だから、別に朝鮮人であることをやめる必要はない。
本来それまでの国力に差があるのだから、その差は受け入れ、中で力をつけ、同じにする。それは併合された方の努力すべきことで、実力のある方(併合した方)はそれを阻止するものではない。
そんなこと(実力のあるものが威張っている)をすれば、周辺国に与し易しと思われ、ちょっかいを出されるだけです。(実際、この時は、ロシアも手を出しかねています)
元河原者だった、「創氏」して日本風の名前を持った地主は、朝鮮人として生きるより、日本人として生きた方が良い。そりゃそうでしょう。初めて身分差別から解放されるのですから。
朝鮮を保護国にし、実力がつくまで見守り、勿論援助して実力がついたら同盟国となって、「①属国に戻そうとするシナ」「②領土化を謀るロシア」に対抗すれば良かったのですが、ずっと属国としての月日を重ねてきた朝鮮と、蛮族の地としてうち捨てられていた台湾とは、その歴史が全く異なっているが故に、その後の在り方は全く違ってしまいました。
「ハイハイ」も満足にできない赤ん坊を、日本は無理矢理立たせ、手をつないで歩こうとしたのではないでしょうか。