洗馬歴史同好会で洗馬宿を取り囲んで流れている宿場用水が洗馬宿を出てからどのように流れ、利用されているか、歩いて探検してみようという企画があり、参加した。
宿場の終わり、中山道と善光寺街道が分岐する、分されの農協と中央線の間を流れる山側宿場用水から出発。用水は手前、北東へと流れている。(地図の青線部分を歩く)
肘掛松の手前で中山道をくぐり、段丘を少し下る。その後、等高線に沿って、段丘の縁を北へと辿り、幾つかの田を潤していく。
やがて西に方向を転じた水路、善光寺街道とぶつかって、10数m善光寺街道を南に戻る。
もどった理由はこれ、向こう側、南から北に流れてきた川側の宿場用水とここで合流する。
その後、何枚かの田畑を潤し、
宿場外の家々の先を複雑に行き交い、
第二段丘の斜面へと続いていく。
第二段丘の斜面を流れ落ち、
仁科街道(県道293号)を横切った用水路は、
南西側の奈良井川に向かって流れていく。
途中で奈良井川右岸の花見から流れてきた小さな用水(地図の黄緑線)と合流/分岐(地図の赤線)する複雑な合流点。主たる流れは奈良井川方向に流れ、飯米場の水田を潤している。
水田に水が要らない時、余水は奈良井川に流れ落ちていたと思われる。
一方、合流/分岐点から流れ出たもう一本の水路(地図の赤い線)はもと来た経路をほぼ引き返す北方向に流れ、
再度仁科街道の横を流れる。
やがて、この赤線の水路は、奈良井川より取水したより大きな水路:金渕堰用水(地図の水色)に合流して終わる。
洗馬宿の用水路がどう流れ、どこに続いているかを歩いて探検してわかったこと。
①尾沢上流から取水された洗馬宿用水は中山道の両側に連なった住居に生活用水を供給することが第一の目的であったが、
②宿場外の住居や田畑にも用水を供給していたらしい。
③使い終わった?余剰?の用水は所々に作られた水田と、宿場へのコメを供給した飯米場の水田群の灌漑にも使われていた。
その為、宿場を流れる時は単純に南東から北西に中山道に沿って一直線に流れていたものが、宿場を出ると複雑に方向を変え、利用されていたことが解かった。