四阿山カルデラ一周のトレッキングは、米子大瀑布を起点としましたが、ここには近代日本の遺産ともいうべき米子鉱山跡が残っています。その起源は古く、江戸初期ともいわれていますが、日本三大不動尊の一つ米子不動尊(瀧澤山家原院如来寺→米子瀧山威徳院不動寺)が奈良時代に行基により開山された古刹であるということを考えると、もっと古くから採掘されていた可能性もあります。また、奇妙滝のある奇妙山は仏教用語の「帰命」が転訛して奇妙となったもので、木食信仰遺跡があることからも、深山でありながら人の出入りはかなりあったと考えられます。そう思って調べると、8世紀の「続日本紀(しょくにほんぎ)」に、当時信濃国から朝廷へ石硫黄の献上があったことが記されていると分かりました。これは米子鉱山のことと推察されます。
今回、米子大瀑布の上を歩いて初めて分かったのですが、カルデラの中は完全な原生林ではなく、特に大黒沢では落葉松の植林地があり、鉱山の遺構が部分的にたくさん残っているのです。今回のトレッキングルポでは、通り過ぎただけなので詳しくは撮影できませんでしたが、いずれ気になる場所を見通しの良い落葉期などに訪れてみたいと思います。
米子鉱山については、須坂市のサイトや出版物、色々な方のサイトにたくさん出ているので記しませんが、その中で浦倉山から下る途中にあった分岐の先にあるという「ソブ池(ソボ池)」と「野猿田池」という記述に目が留まりました。米子大瀑布から浦倉山への登山道を登り、鉱山跡地が眼下に見える尾根に乗るとすぐに「ソブ池」への分岐があります。私は「ソブ」というのは、以前「みすずかる信濃」と「高師小僧(たかしこぞう)」の関係を調べていたときに知った「赤渋(アカシブ・アカソブ・アカソボ・アカシボ)」のことではないかと思ったのです。米子鉱山の産出物は、石硫黄、蝋石、ダイアスポア(藤石)などの他に褐鉄鋼も産出していました。四阿山系の川では、渓流の水が金気が強くて飲めないものがありますし、鉱毒水は現在も米子川に流れ込んで汚染を続けています。
つまり「ソブ池」とは、褐鉄鋼により底が赤く染まった「赤渋池」のことではと思ったのです。しかし、金気水では飲料水にはなりません。そこでさらに調べると、そもそも「赤渋」というのはアイヌ語で、水の箱(底が岩盤の池)を意味する「ワァカウォプ」が転訛したものという説がありました。確認のために須坂市に問い合わせると、「ソブ池」の水は強酸性で飲めないとのこと。飲料水は私達も飲んだウラノ沢からひいていたということです。さらに地名を調べるとカルデラ内は池ノ平といい、「ソブ池」のある場所の小字名は野猿田(やえんだ)ということが分かりました。「ソブ池」は「野猿田池」ともいうらしいのです。「ソブ池」は俗称で、「野猿田池」が本来の池名なのでしょう。自然地名には日本人の歩んだ足跡を知る手がかりが隠されているのですね。
米子大瀑布を「よなご」と読む人がいますが、正しくは「よなこ」で濁りません。ヨナは、文字通り米ですが、他に古くは火山灰や砂地を意味し、コは此処を意味します。(地名語源辞典)米子という地名が日本海側に多いというのは、またなにか古代からの地理的な交易や移動の証なのかもしれません。米子大瀑布の上には、鉱山跡地の台地にある登山口から30分も登ると見下ろせる尾根の肩に出ます。ここから米子の谷を見渡して鉱山の人々が働いていた往時を想像するのもいいと思います。火事や落盤事故もあり大変なこともあったとは思いますが、活気に満ちていたのではないでしょうか。
私達は早朝に発ち夕方戻ったのでほとんど人には会いませんでしたが、今回もカップルで来た女性はスカートに普通の靴でした。米子大瀑布の周遊コースを回るのにも最低軽登山靴は必要です。雨後は泥濘状態になる場所もあります。山の天候は変わりやすいので雨具も必須。冬期はいりませんが、人出が少ない季節や平日に訪れるなら熊鈴もあった方がいいでしょう。もっとも冬は氷瀑クライミングの人達以外は入りませんが。
カルデラの上は、地元の雄志の方やトレラン愛好者の方々が笹刈りやゴミ広いをしてくれているようですが、夏期は薮になる箇所があります。思いついて観光客が迷い込むと遭難します。また、山菜採りに入る人もいるようですが、飴の包み紙やペットボトルなどを絶対に捨てないようにお願いします。熊が怒っていますよ。
◉錦秋の米子大瀑布へ。米子鉱山の飲用水としても使われたというソブ池探索も(妻女山里山通信):ソブ池の写真はこちらの記事で。
★【MORI MORI KIDS(低山トレッキング・フォトレポート)】夏の信州のトレッキングに、四阿山カルデラ周回トレッキング22.5キロをアップしました。四阿火山の大カルデラのパノラマ写真をご覧ください。
★ネイチャーフォトは、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、地衣類、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、森の動物、特殊な技法で作るパノラマ写真など。四阿山。根子岳からのパノラマ写真も。
今回、米子大瀑布の上を歩いて初めて分かったのですが、カルデラの中は完全な原生林ではなく、特に大黒沢では落葉松の植林地があり、鉱山の遺構が部分的にたくさん残っているのです。今回のトレッキングルポでは、通り過ぎただけなので詳しくは撮影できませんでしたが、いずれ気になる場所を見通しの良い落葉期などに訪れてみたいと思います。
米子鉱山については、須坂市のサイトや出版物、色々な方のサイトにたくさん出ているので記しませんが、その中で浦倉山から下る途中にあった分岐の先にあるという「ソブ池(ソボ池)」と「野猿田池」という記述に目が留まりました。米子大瀑布から浦倉山への登山道を登り、鉱山跡地が眼下に見える尾根に乗るとすぐに「ソブ池」への分岐があります。私は「ソブ」というのは、以前「みすずかる信濃」と「高師小僧(たかしこぞう)」の関係を調べていたときに知った「赤渋(アカシブ・アカソブ・アカソボ・アカシボ)」のことではないかと思ったのです。米子鉱山の産出物は、石硫黄、蝋石、ダイアスポア(藤石)などの他に褐鉄鋼も産出していました。四阿山系の川では、渓流の水が金気が強くて飲めないものがありますし、鉱毒水は現在も米子川に流れ込んで汚染を続けています。
つまり「ソブ池」とは、褐鉄鋼により底が赤く染まった「赤渋池」のことではと思ったのです。しかし、金気水では飲料水にはなりません。そこでさらに調べると、そもそも「赤渋」というのはアイヌ語で、水の箱(底が岩盤の池)を意味する「ワァカウォプ」が転訛したものという説がありました。確認のために須坂市に問い合わせると、「ソブ池」の水は強酸性で飲めないとのこと。飲料水は私達も飲んだウラノ沢からひいていたということです。さらに地名を調べるとカルデラ内は池ノ平といい、「ソブ池」のある場所の小字名は野猿田(やえんだ)ということが分かりました。「ソブ池」は「野猿田池」ともいうらしいのです。「ソブ池」は俗称で、「野猿田池」が本来の池名なのでしょう。自然地名には日本人の歩んだ足跡を知る手がかりが隠されているのですね。
米子大瀑布を「よなご」と読む人がいますが、正しくは「よなこ」で濁りません。ヨナは、文字通り米ですが、他に古くは火山灰や砂地を意味し、コは此処を意味します。(地名語源辞典)米子という地名が日本海側に多いというのは、またなにか古代からの地理的な交易や移動の証なのかもしれません。米子大瀑布の上には、鉱山跡地の台地にある登山口から30分も登ると見下ろせる尾根の肩に出ます。ここから米子の谷を見渡して鉱山の人々が働いていた往時を想像するのもいいと思います。火事や落盤事故もあり大変なこともあったとは思いますが、活気に満ちていたのではないでしょうか。
私達は早朝に発ち夕方戻ったのでほとんど人には会いませんでしたが、今回もカップルで来た女性はスカートに普通の靴でした。米子大瀑布の周遊コースを回るのにも最低軽登山靴は必要です。雨後は泥濘状態になる場所もあります。山の天候は変わりやすいので雨具も必須。冬期はいりませんが、人出が少ない季節や平日に訪れるなら熊鈴もあった方がいいでしょう。もっとも冬は氷瀑クライミングの人達以外は入りませんが。
カルデラの上は、地元の雄志の方やトレラン愛好者の方々が笹刈りやゴミ広いをしてくれているようですが、夏期は薮になる箇所があります。思いついて観光客が迷い込むと遭難します。また、山菜採りに入る人もいるようですが、飴の包み紙やペットボトルなどを絶対に捨てないようにお願いします。熊が怒っていますよ。
◉錦秋の米子大瀑布へ。米子鉱山の飲用水としても使われたというソブ池探索も(妻女山里山通信):ソブ池の写真はこちらの記事で。
★【MORI MORI KIDS(低山トレッキング・フォトレポート)】夏の信州のトレッキングに、四阿山カルデラ周回トレッキング22.5キロをアップしました。四阿火山の大カルデラのパノラマ写真をご覧ください。
★ネイチャーフォトは、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、地衣類、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、森の動物、特殊な技法で作るパノラマ写真など。四阿山。根子岳からのパノラマ写真も。