新しいブログ『国分寺・国立70Sグラフィティ』を始めました。序文にも書きましたが、70年代というのは、学生運動がある程度沈静化して、アメリカ文化を若者に浸透させる新たな愚民化政策が始まった頃と私は捉えています。アメリカのグッズ紹介を中心としたカタログ雑誌『ポパイ』が創刊されたのもその頃。実は、その原点となった本があるのです。
それは『USAカタログ』。なんと発行は、あの米のポチ新聞、読売新聞社。まさに、アメリカの商品を日本の若者に売り込むために発行されたムックでした。日本は高度経済成長のピークで、若者を中心にハワイ、西海岸ブーム。円も1ドル360円固定から変動相場制に移行し、270円ぐらいと高くなったため、学生でもバイトすれば海外旅行ができる時代になりました。多くのバックパッカーが海外に飛び出したのもその頃です。
50年代から60年代にかけて、カウンターカルチャー、サブカルチャーが台頭し、ヒッピー文化が生まれました。ヒッピーの発祥の地は実は日本です。70年代初めの国分寺は、その中心のひとつでしたが、中頃になると高度経済成長に乗って、もう少しお洒落な方向へと時代が動いていきました。雑誌文化が花開いた頃です。そして、二度に渡るオイルショックでの急落。ジェットコースターに乗っている様な時代でもありました。
『国分寺・国立70Sグラフィティ』では、私が学生時代にアルバイトをした、今では世界的な作家、村上春樹さんのジャズ喫茶(夜はジャズバー)「ピーター・キャット」を中心とした70年代の国分寺と国立を、色々なエピソードを街の思い出等とともに描いて行きたいと思います。と同時に、その時代の検証を改めてしてみたいと思っています。
それは、ブログの序文でも書きましたが、外務省の国際情報局長だった孫崎 享さんの『戦後史の正体』(創元社)を読んだことも大きな理由となっています。氏がいうように、日本の戦後史は、アメリカからの圧倒的な圧力下にありました。対米隷属を強いるための戦略は、大手広告代理店、マスコミを通じて、テレビや雑誌等の編集内容にまで深く浸透し、庶民の流行やライフスタイルにまで大きく影響していたというわけです。戦後史をほとんど学校で教えないわけは、そこにあった。米隷属の真実を教えるわけにはいかなかったということです。
『戦後史の正体』を読めば、戦後の文化や風俗、芸術や文学、音楽などの評論も、パラダイムの組み替えが必要だと思わずにはいられません。前記した、70年代というのは、学生運動がある程度沈静化して、アメリカ文化を若者に浸透させる新たな愚民化政策が始まった頃と私は捉えているというのは、そういう事なんです。続きはブログでどうぞ。少しずつ書き溜めながらアップするので、更新は不定期です。更新は、ツイッターでお知らせしますが、興味のある方はブックマークをお願いします。
掲載の写真。左は国分寺ピーター・キャットで使われていたマッチ。右上は、ピーター・キャットでアルバイトをしていたムサビの三人組。左が私。レイヤーカットにレイバンもどきのサングラス。ウォッシュアウトのGジャン、ベルボトムのジーンズ、ハイヒールのブーツ。恥ずかしくなるほど当時の流行そのものです。右下は、ムサビに合格した時に研究所のみんなと合格祝いの旅行で伊豆の白浜へ行った時のもの。ネイビーのタートルネックセーターに水色のコーデュロイのスリムのパンツ。靴はアイリッシュセッターもどきのワークブーツ。パーマの長髪と70年代真っ盛りのいでたちです。流行に流されれば俗物、無関心なら空け者。でも流行というのは江戸時代でもあって(いやもっと古代からあったかも)、それはポップアートを産んだり、音楽でも重要なムーブメントだったりしたわけで、決して軽んじるべきものではないと考えます。
◆「ブラジルへの郷愁」レヴィ=ストロース 川田順造訳 みすず書房。文化人類学、また構造主義におけるバイブルのひとつ(妻女山里山通信):村上春樹さんとの出会いから、ロンドンへ、そしてアマゾンへと旅は続いたのです。
◆『国分寺・国立70sグラフィティ』村上春樹さんのジャズ喫茶、ピーター・キャットを中心とした70年代のクロニクルまたはスラップスティック
◆孫崎 享さんの『戦後史の正体』導入部
戦後の日本外交を、対米従属派と自主独立派の抗争という視点から捉え、米国の占領政策がいかに我が国の深部まで蝕んでいるかを露にした、今、日本人の必読書といわれる注目の書籍。上のリンクで導入部100pが読めますが、ぜひ全部読む事をおすすめします。高校生にも分かるようにと書かれているので、とても分かり易い。しかし、驚愕の内容です。
「ピーター・キャット」のエンディング・テーマ曲。閉店の時にいつも流していました。
Since I Fell For You (Remastered)
★追記(2015/9/8)
こちらのサイトでは、32本の記事が全て読めます。
それは『USAカタログ』。なんと発行は、あの米のポチ新聞、読売新聞社。まさに、アメリカの商品を日本の若者に売り込むために発行されたムックでした。日本は高度経済成長のピークで、若者を中心にハワイ、西海岸ブーム。円も1ドル360円固定から変動相場制に移行し、270円ぐらいと高くなったため、学生でもバイトすれば海外旅行ができる時代になりました。多くのバックパッカーが海外に飛び出したのもその頃です。
50年代から60年代にかけて、カウンターカルチャー、サブカルチャーが台頭し、ヒッピー文化が生まれました。ヒッピーの発祥の地は実は日本です。70年代初めの国分寺は、その中心のひとつでしたが、中頃になると高度経済成長に乗って、もう少しお洒落な方向へと時代が動いていきました。雑誌文化が花開いた頃です。そして、二度に渡るオイルショックでの急落。ジェットコースターに乗っている様な時代でもありました。
『国分寺・国立70Sグラフィティ』では、私が学生時代にアルバイトをした、今では世界的な作家、村上春樹さんのジャズ喫茶(夜はジャズバー)「ピーター・キャット」を中心とした70年代の国分寺と国立を、色々なエピソードを街の思い出等とともに描いて行きたいと思います。と同時に、その時代の検証を改めてしてみたいと思っています。
それは、ブログの序文でも書きましたが、外務省の国際情報局長だった孫崎 享さんの『戦後史の正体』(創元社)を読んだことも大きな理由となっています。氏がいうように、日本の戦後史は、アメリカからの圧倒的な圧力下にありました。対米隷属を強いるための戦略は、大手広告代理店、マスコミを通じて、テレビや雑誌等の編集内容にまで深く浸透し、庶民の流行やライフスタイルにまで大きく影響していたというわけです。戦後史をほとんど学校で教えないわけは、そこにあった。米隷属の真実を教えるわけにはいかなかったということです。
『戦後史の正体』を読めば、戦後の文化や風俗、芸術や文学、音楽などの評論も、パラダイムの組み替えが必要だと思わずにはいられません。前記した、70年代というのは、学生運動がある程度沈静化して、アメリカ文化を若者に浸透させる新たな愚民化政策が始まった頃と私は捉えているというのは、そういう事なんです。続きはブログでどうぞ。少しずつ書き溜めながらアップするので、更新は不定期です。更新は、ツイッターでお知らせしますが、興味のある方はブックマークをお願いします。
掲載の写真。左は国分寺ピーター・キャットで使われていたマッチ。右上は、ピーター・キャットでアルバイトをしていたムサビの三人組。左が私。レイヤーカットにレイバンもどきのサングラス。ウォッシュアウトのGジャン、ベルボトムのジーンズ、ハイヒールのブーツ。恥ずかしくなるほど当時の流行そのものです。右下は、ムサビに合格した時に研究所のみんなと合格祝いの旅行で伊豆の白浜へ行った時のもの。ネイビーのタートルネックセーターに水色のコーデュロイのスリムのパンツ。靴はアイリッシュセッターもどきのワークブーツ。パーマの長髪と70年代真っ盛りのいでたちです。流行に流されれば俗物、無関心なら空け者。でも流行というのは江戸時代でもあって(いやもっと古代からあったかも)、それはポップアートを産んだり、音楽でも重要なムーブメントだったりしたわけで、決して軽んじるべきものではないと考えます。
◆「ブラジルへの郷愁」レヴィ=ストロース 川田順造訳 みすず書房。文化人類学、また構造主義におけるバイブルのひとつ(妻女山里山通信):村上春樹さんとの出会いから、ロンドンへ、そしてアマゾンへと旅は続いたのです。
◆『国分寺・国立70sグラフィティ』村上春樹さんのジャズ喫茶、ピーター・キャットを中心とした70年代のクロニクルまたはスラップスティック
◆孫崎 享さんの『戦後史の正体』導入部
戦後の日本外交を、対米従属派と自主独立派の抗争という視点から捉え、米国の占領政策がいかに我が国の深部まで蝕んでいるかを露にした、今、日本人の必読書といわれる注目の書籍。上のリンクで導入部100pが読めますが、ぜひ全部読む事をおすすめします。高校生にも分かるようにと書かれているので、とても分かり易い。しかし、驚愕の内容です。
「ピーター・キャット」のエンディング・テーマ曲。閉店の時にいつも流していました。
Since I Fell For You (Remastered)
★追記(2015/9/8)
こちらのサイトでは、32本の記事が全て読めます。