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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

衝撃! 殺戮だけのためにアオカナブンを襲うオオスズメバチ! 妻女山と斎場山の真実(妻女山里山通信)

2016-08-14 | アウトドア・ネイチャーフォト

 三つ前の記事で、オオスズメバチがアオカナブンを襲い、頭からバリバリ食べるシーンを載せましたが、今回さらに衝撃的なことが起きました。コナラの大木の根元に湧いた樹液を吸うオオスズメバチ(左)。この様に白くなると発酵しアルコール分も含まれます。たくさん吸うと酔っ払うこともあります。アルコール分は微量ですが、オオスズメバチの体重は人間の約一万分の1なので微量でも酔うのです。酔ったハチの行動はまさに人間と同じです。
 吸汁に訪れたアオカナブンを排除するだけでなく突然襲いました(中)。6本の脚で羽交い締めにして攻撃。頭に噛みつきます(右)。

 強靭な顎で頭部に噛み付いています。オオスズメバチの顎の噛み砕く力は樹木を齧って樹液を出すほどなので相当強いのです。カマキリやセミを襲ったり肉食もしますが、樹液を吸いに来たコナラでわざわざアオカナブンを襲う理由が分かりません。それが、この後の行動で更に謎が深まりました。理由のひとつとしては、今年の夏は雨が少なく樹液の出が悪いということがあります。そのため、樹液バーでの争いが頻繁に起きてはいるのですが、他の個体は排除するだけで殺したりはしないので、この個体特有の性質なのでしょうか。

 執拗に攻撃を続けます(左)。この時点で頭部を噛み切っているので、アオカナブンはすでに絶命しています(中)。どうも三つ前の記事で撮影したオオスズメバチと同じ個体の様な気がします(右)。驚いたのは、前回は肉団子にして巣に持ち帰ったのですが、今回は殺すだけで巣に帰ったといいうことです。殺戮だけが目的だったのでしょうか。非常に不可解です。もっともこのアオカナブンはすぐにトゲアリなどの餌になり無益な殺生ということでもありませんでしたが。感情とか遊ぶとかは本当に高度な哺乳類のものだけなのでしょうか。衝撃的な出来事でした。
 この撮影ですが、望遠マクロではなく50ミリf2.0のレンズで撮影しています。そのためレンズフードの先端から被写体までは20センチもありません。なぜ逃げないの?なぜ襲われないの?とよく聞かれますが、彼らの生態を知り、その時の感情(気分)を見ているからなのです。それでも誤って追いかけられたことは何度もあります。オオスズメバチに100m追いかけられたこともあります。3回転びましたが、最後は彼らが嫌いなフィトンチット充満のヒノキ林にダイブして逃れました。

 その樹液バーにキマワリとクロスズメバチがやって来ました。クロスズメバチは地蜂とかヘボとか呼ばれ、地面に巣を作りますが、その蜂の子は信州では高価な珍味です。すがれ追いともいいます。蜂の子はタンパク質が、100グラムあたりで約17グラムと多く、その他ビタミンA・B1・B2、カルシウム、鉄分なども含まれる優良食材なのです。蜂の子は甘辛で煮付けて酒の肴やご飯のおかずに。または一緒に炊き込んでヘボ飯にします。子供の頃は地蜂は捕れないので、アシナガバチの巣を落として祖母に料理してもらいました。信州人のソウルフードですが、今の子供達は食べないでしょうね。農薬や添加物満載の加工食品やジャンクフードまみれ。挙句に放射能汚染食材。

 チャイロスズメバチも来ました(左)。社会寄生をするハチで小さいながら攻撃的なハチです。森の宝石アオカナブン(中)。左後ろにいるのは、シラホシハナムグリかシロテンハナムグリか。この辺は角度で色の見え方も変わるし同定が非常に難しい昆虫です。オオムラサキのオスも吸汁にやってきましたが、カナブンの団体やオオスズメバチに占拠されてなかなかありつけません(右)。

 サトキマダラヒカゲも訪れました(左)。オオヒカゲもやって来ました(中)。虚の奥でずっと吸汁していたコクワガタが出てきました(右)。この後、木を下りて枯れ葉の中に潜って行きました。

 コミスジが葉の上で休憩中(左)。人の気配に敏感で容易に撮影させてくれません。樹上からミンミンゼミが落ちてきました(中)。指にのせると動きません。モデルになってもらいました。なかなか愛嬌のある顔です。
 モジホコリ科ススホコリ属のススホコリ(右)。いわゆる粘菌(変形菌)です。これは変形体ではなくすでに子実体で、胞子を飛ばす準備ができています。石灰質顆粒からなる外皮はもろく剥がれやすい。この夏は雨が少なく、粘菌がほとんど見られず残念です。

 シロヒトリ(左)。白一人ではなく、白燈蛾・白火取。名前の由来は、白火取と書く様に、夜になると灯火に飛び込み、火を消してしまう事から。 幼虫の食草は、クワ、タンポポ、スイバ、イタドリ、ギシギシ、オオバコなど。幼虫は、70ミリほど。昼間は写真の様にほとんど爆睡しています。
 帰ろうとするとノスリがネズミを捕まえて食べていました(中・右)。鳥は撮影機材が全く異なるのでしませんが、ノスリは大好きな鳥なのです。以前、隣家の畑で神の使いといわれる白蛇を捕まえてカラスと壮絶な戦いをしていたのを目撃した時は本当に興奮しました。

 『真田丸』で妻女山への訪問者が激増していますが、多くの観光客は展望台のある妻女山(実は赤坂山)を謙信本陣と勘違いして帰って行きます。長野市の看板にもその説明がないため、ここが本来の妻女山(本名は斎場山)ではないと知らずにいるのです。地元で上杉謙信の本陣と言い伝えられてきた妻女山は、更に100m高い斎場山のことです。山頂は古代科野国の古墳で円墳です。ここに謙信は盾を敷き陣幕を貼って本陣としたと地元では代々言い伝えてきました。写真は千曲川右岸の岩野橋少し下流から撮影したものです。

 これは千曲川左岸の岩野橋の近くから撮影したもの。謙信の軍勢は、斎場山を本陣として妻女山(旧赤坂山)から薬師山(笹崎山)、さらに斎場山南の陣馬平、天城山(てしろやま)、麓の斎場原に布陣したと伝わっています。ここへの行き方は拙書『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林で詳しく地形図と共に説明しています。なお山の地形は戦国時代とほとんど変わっていないと思いますが、千曲川の流れは江戸時代の戌の満水の大洪水の後で、松代藩が大規模な瀬直しをしているので、戦国時代の流路とは全く異なります。「上杉謙信が妻女山(斎場山)に布陣したのは、千曲川旧流が天然の要害を作っていたから」をお読み下さい。

妻女山と斎場山、陣馬平への行き方」『真田丸』で訪問者が激増中。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

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