妻女山駐車場近くの、仲間とやっている椎茸栽培のホダ木が劣化して来たので、使えなくなったホダ木をどけて整理をしました。その後、カメラ機材と山仕事の道具を積んで登り、陣場平へ。ログハウスで休憩の後下山し、久しぶりに林道倉科坂線を歩いてみました。
紅葉が燃える堂平大塚古墳。円墳で直径は約16m。高さは約4.8m。横穴式の石室で、開口部は西向き。7世紀前半~中葉の古墳といわれています。中はかなり広く、高さは2.3mあり充分に立って入れます。1966年位までこの横には家があり、山仲間の故Kさんが家族で住んでいました。年中温度が一定なので、古墳の中を貯蔵庫として使っていたそうです。堂平という名称から、古くはここに何かお堂があったと思われます。
彼の家族が住む前の戦前には、乃木希典の軍の軍曹だった山岸義十郎氏が住んでいたと父から聞きました、大正天皇が皇太子のときに清野小学校から白馬に乗って来訪し、彼は軍服を着てサーベルを下げて迎えたと、青年学校時代に同行した亡父が言っていました。
Kさんから、戦後に男装の麗人、川島芳子(清朝の皇族・第10代粛親王善耆の第十四王女)、本名は愛新覺羅顯㺭(あいしんかくら けんし)がどこから聞いたのか、ここに住みたいと打診して来たと驚きの話を聞きました。それは断ったそうですが。銃殺刑になった説、50年代に死亡説、1978年死亡説とミステリアスな人生を送った女性です。戦争の悲劇は庶民だけではない例。戦争で莫大な富と利権を得るたった1%の輩が戦争を起こす。
●「妻女山 有名人訪問年表」政治的、軍事的に利用された稀有な里山(妻女山里山通信):これほど政治的、軍事的に利用されてきた里山もないでしょう。ぜひご覧ください。
古墳の前の落葉松。微風でもチリチリと散ってきます。林道や登山道は枯れ葉の絨毯。カラカラに乾くともの凄く滑ります。ご注意を。この敷地内には、勅命、正一位と書かれた古い石碑があります。別の面には、天宮大穴郷堂平とも記されています。まがい物でなければ、勅命、正一位はもの凄い記述です。天宮大穴郷は、現在の雨宮。大穴郷は、古墳がたくさんあった時代のこの地の呼名です。
陣場平分岐の柏の葉。子供の頃は、祖母が旧暦の端午の節句に柏餅を作ってくれました。そのために妻女山へ柏の葉を摘みに来たものです。記憶の底に残るあの素朴な柏餅の味は忘れません。小豆は大納言ではなく、今や希少な少納言です。味は全く違います。入手はほぼ困難と思います。私が作ったものが少量あるだけです。できれば栽培したいのですが。
長坂峠から右奥に天城山(てしろやま)。山頂は堂平大塚古墳より古い円墳です。峠のススキが光っています。クヌギ、カシワ、コナラ、エノキ、ヤマザクラ、コムラサキ、シナノガキ、ケヤキ、ヌルデ、ヤマコウバシ、ガマズミなどの色々な紅葉黄葉が山を彩ります。
左からカシワ、コナラ、クヌギの枯れ葉。
妻女山駐車場まで下って、左の林道倉科坂線を歩きます。松代方面の眺め。右手前に象山。ぞの奥に皆神山。左に尼厳山と右に大きな奇妙山。右奥に根子岳と四阿山。雪がないですね。スキーシーズンは2周間ぐらい遅れそうです。ただ、ラニーニャが発生しているので冬の到来は遅めですが、寒くなりそうです。2014年の豪雪の様にならなければいいのですが。あの年も1月まで降雪が少なく暖かくこのまま春になるのかなと思っていたら2月に豪雪。
ダンコウバイの花芽がもうできています。3月に真っ先に黄色い花を咲かせます。そうはいっても触るとカチカチに固いのです。冬の寒さから守るためです。
ノコンギクの種。寒風が吹く度に散っていきます。
前の記事で紹介したヌルデ(白膠木)の紅葉。枝に葉柄があるのですぐ分かります。ウルシの仲間なので、人によっては触れるとかぶれることもあります。
ヤマコウバシ。クスノキ科クロモジ属なので、枝を折るといい香りがします。これで箸や爪楊枝を作るといいかもしれません。太陽が好きなので日当たりの良い西側の斜面に多く見られます。冬になっても枯れ葉を落としません。新葉が出るまでこのままなので、真冬でも目立ちます。落ちないので、受験のお守りにも使われます。
左下が象山。そこから続く尾根。左は越山。右は深山。右(西)へたどると鞍骨山。南へたどると鏡台山です。
戻って椎茸栽培の森へ。ホダ木を処分したのでスカスカです。来春に1000駒打ち込む予定です。その翌年にまた1000駒。
(左)14個ほど椎茸が出ていました。12月初めの妻女山里山デザイン・プロジェクトの納会で食べようと思います。(右)その椎茸と天然のムキタケ、ベーコンと多摩の伝統野菜ののらぼう菜の和風パスタ。のらぼう菜は、在京時代に五日市の養沢へフライフィッシングに通っていた時に出会い、美味しいのでずっと後に息子に調布市農協で種を買ってもらい。父が育ててこれは美味しいと集落中に種を配ったのです。江戸時代初期に入ったセイヨウアブラナの原種に近いもので、春のとう立ちを食べます。苦味がなく甘く美味しく、和洋中華なんにでも合うので重宝しています。これとアサリのボンゴレビアンコは最高です。
翌日は陣場平の整備。折れた太い枝や落枝の処理。来春、貝母が満開になるとたくさんの人が訪れます。危険がない様に今の時期に整備をします。昼の休憩はログハウスへ。古墳の裏に咲くヤマツツジ。狂い咲きではなく、毎年初夏と小春日よりの晩秋に咲くのです。来週は氷雨と初雪もあるかもしれません。これが見納めでしょう。
妻女山展望台からの白馬三山。来週は、手前に見える茶臼山も白くなるかもしれません。信州の長い冬が始まります。
部分月食の紅い月と星。縄文や弥生の古代の人びとにとっては、神の降臨かはたまた災いの予兆か。140年ぶりの紅い月がもたらすもの。
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。
★本の概要は、こちらの記事を御覧ください。
★お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせか、メッセージからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
紅葉が燃える堂平大塚古墳。円墳で直径は約16m。高さは約4.8m。横穴式の石室で、開口部は西向き。7世紀前半~中葉の古墳といわれています。中はかなり広く、高さは2.3mあり充分に立って入れます。1966年位までこの横には家があり、山仲間の故Kさんが家族で住んでいました。年中温度が一定なので、古墳の中を貯蔵庫として使っていたそうです。堂平という名称から、古くはここに何かお堂があったと思われます。
彼の家族が住む前の戦前には、乃木希典の軍の軍曹だった山岸義十郎氏が住んでいたと父から聞きました、大正天皇が皇太子のときに清野小学校から白馬に乗って来訪し、彼は軍服を着てサーベルを下げて迎えたと、青年学校時代に同行した亡父が言っていました。
Kさんから、戦後に男装の麗人、川島芳子(清朝の皇族・第10代粛親王善耆の第十四王女)、本名は愛新覺羅顯㺭(あいしんかくら けんし)がどこから聞いたのか、ここに住みたいと打診して来たと驚きの話を聞きました。それは断ったそうですが。銃殺刑になった説、50年代に死亡説、1978年死亡説とミステリアスな人生を送った女性です。戦争の悲劇は庶民だけではない例。戦争で莫大な富と利権を得るたった1%の輩が戦争を起こす。
●「妻女山 有名人訪問年表」政治的、軍事的に利用された稀有な里山(妻女山里山通信):これほど政治的、軍事的に利用されてきた里山もないでしょう。ぜひご覧ください。
古墳の前の落葉松。微風でもチリチリと散ってきます。林道や登山道は枯れ葉の絨毯。カラカラに乾くともの凄く滑ります。ご注意を。この敷地内には、勅命、正一位と書かれた古い石碑があります。別の面には、天宮大穴郷堂平とも記されています。まがい物でなければ、勅命、正一位はもの凄い記述です。天宮大穴郷は、現在の雨宮。大穴郷は、古墳がたくさんあった時代のこの地の呼名です。
陣場平分岐の柏の葉。子供の頃は、祖母が旧暦の端午の節句に柏餅を作ってくれました。そのために妻女山へ柏の葉を摘みに来たものです。記憶の底に残るあの素朴な柏餅の味は忘れません。小豆は大納言ではなく、今や希少な少納言です。味は全く違います。入手はほぼ困難と思います。私が作ったものが少量あるだけです。できれば栽培したいのですが。
長坂峠から右奥に天城山(てしろやま)。山頂は堂平大塚古墳より古い円墳です。峠のススキが光っています。クヌギ、カシワ、コナラ、エノキ、ヤマザクラ、コムラサキ、シナノガキ、ケヤキ、ヌルデ、ヤマコウバシ、ガマズミなどの色々な紅葉黄葉が山を彩ります。
左からカシワ、コナラ、クヌギの枯れ葉。
妻女山駐車場まで下って、左の林道倉科坂線を歩きます。松代方面の眺め。右手前に象山。ぞの奥に皆神山。左に尼厳山と右に大きな奇妙山。右奥に根子岳と四阿山。雪がないですね。スキーシーズンは2周間ぐらい遅れそうです。ただ、ラニーニャが発生しているので冬の到来は遅めですが、寒くなりそうです。2014年の豪雪の様にならなければいいのですが。あの年も1月まで降雪が少なく暖かくこのまま春になるのかなと思っていたら2月に豪雪。
ダンコウバイの花芽がもうできています。3月に真っ先に黄色い花を咲かせます。そうはいっても触るとカチカチに固いのです。冬の寒さから守るためです。
ノコンギクの種。寒風が吹く度に散っていきます。
前の記事で紹介したヌルデ(白膠木)の紅葉。枝に葉柄があるのですぐ分かります。ウルシの仲間なので、人によっては触れるとかぶれることもあります。
ヤマコウバシ。クスノキ科クロモジ属なので、枝を折るといい香りがします。これで箸や爪楊枝を作るといいかもしれません。太陽が好きなので日当たりの良い西側の斜面に多く見られます。冬になっても枯れ葉を落としません。新葉が出るまでこのままなので、真冬でも目立ちます。落ちないので、受験のお守りにも使われます。
左下が象山。そこから続く尾根。左は越山。右は深山。右(西)へたどると鞍骨山。南へたどると鏡台山です。
戻って椎茸栽培の森へ。ホダ木を処分したのでスカスカです。来春に1000駒打ち込む予定です。その翌年にまた1000駒。
(左)14個ほど椎茸が出ていました。12月初めの妻女山里山デザイン・プロジェクトの納会で食べようと思います。(右)その椎茸と天然のムキタケ、ベーコンと多摩の伝統野菜ののらぼう菜の和風パスタ。のらぼう菜は、在京時代に五日市の養沢へフライフィッシングに通っていた時に出会い、美味しいのでずっと後に息子に調布市農協で種を買ってもらい。父が育ててこれは美味しいと集落中に種を配ったのです。江戸時代初期に入ったセイヨウアブラナの原種に近いもので、春のとう立ちを食べます。苦味がなく甘く美味しく、和洋中華なんにでも合うので重宝しています。これとアサリのボンゴレビアンコは最高です。
翌日は陣場平の整備。折れた太い枝や落枝の処理。来春、貝母が満開になるとたくさんの人が訪れます。危険がない様に今の時期に整備をします。昼の休憩はログハウスへ。古墳の裏に咲くヤマツツジ。狂い咲きではなく、毎年初夏と小春日よりの晩秋に咲くのです。来週は氷雨と初雪もあるかもしれません。これが見納めでしょう。
妻女山展望台からの白馬三山。来週は、手前に見える茶臼山も白くなるかもしれません。信州の長い冬が始まります。
部分月食の紅い月と星。縄文や弥生の古代の人びとにとっては、神の降臨かはたまた災いの予兆か。140年ぶりの紅い月がもたらすもの。
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。
★本の概要は、こちらの記事を御覧ください。
★お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせか、メッセージからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。