快晴の善光寺平。撮影機材を積んで茶臼山へ向かいました。冬晴れといっても北アルプスが完璧に見えるドピーカンの日はそうないのです。今年は里山や麓でも積雪が殆どないので、空気が酷く乾燥しています。積雪があれば60%前後ですが、このところは40%前後で、酷い時は30%まで下がります。肌がガサガサになるので五島列島の純正椿油を風呂上がりに塗っています。
茶臼山の北アルプス展望台へ。ここはグーグルマップにも地形図にも載っていません。拙書の茶臼山のページの地形図には載っています。ここから見える北アルプスを南から撮影していきます。左に蓮華岳(2799m)、右奥に針ノ木岳(2821m)。蓮華岳と針ノ木岳の間にあるのが針ノ木峠(2536m)。非常に険しい山岳地帯ですが、古くは信濃国と越中国を結ぶルートの要衝だった歴史ある峠です。一番右の小さな頂きはスバリ岳(2752m)。
ここから仁科三山。土豪の仁科氏に由来します。爺ヶ岳(2670m)。栂山・栂谷ノ峯・後立山・五六ヶ岳・爺岳・爺子岳とたくさんの別称があります。南峰と本峰の間の白沢の上部には、春に種蒔きをする老爺の雪形が見られ、山名の由来となりました。天然記念物の雷鳥も生息します。
鹿島槍ヶ岳(2889m)。山頂の右手の陰になっている谷には、平家の落人が隠れたというかくね里があり、上部の雪渓は2018年に長野県初の氷河であると認定されました。かくね里の人々は、やがて大川沢を下り鹿島川の辺りに住み、それが今の鹿島集落とか。ただ、鹿島神社には807年(大同2年)には集落があった記述があるそうで、平家追討以前にすでに集落があったことになります。戦国時代の天文年間の大地震で鹿島槍が大崩壊し、麓が大被害を受けたため、地震の神様である鹿島神社を勧請したともいわれています。ここ茶臼山からの直線距離は、約33キロです。
五竜岳(2814m)。春に武田菱の雪形が現れることで有名ですが、山頂の右下に見えています。旧字体では五龍嶽。名称は武田の領地であった御菱(ごりよう)から。右の小ピークは白岳。
仁科三山の鹿島槍ヶ岳と五竜岳。手前は篠ノ井の山布施の集落。向こうの里山山脈との間には、犀川の深い谷があります。
Wに切れ込んだ不帰ノ嶮(かえらずのけん)。右は天狗ノ頭。北アルプス縦走の厳しい場所。
白馬三山の左から白馬鑓ヶ岳(2903.11m)、杓子岳(2812m)。
白馬岳(2932.24m)。右へ長い尾根をたどると、朝日岳などを経て栂海新道は、親不知の日本海へと続いています。フォッサマグナの成り立ちと深い関係があります。糸魚川市のフォッサマグナミュージアムに行かれることをお勧めします。当ブログでも何度か紹介しています。
白馬三山の雄姿。明治時代に帝国陸軍陸地測量部が地図を作るために白馬村に訪れた時、この山々には確固たる山名がありませんでした。岳山(たけやま)とか西山とか適当に呼んでいたそうです。そんな馬鹿な話があるかと役人に怒られて、長老が集まって必死に考えて命名。雪型の代かき馬からとって代馬岳、貝杓子に似ているので貝杓子岳、長いので貝を取って杓子岳、尖っているので槍ヶ岳、しかし槍ヶ岳、鹿島槍と既にあるので駄目だと言われて白馬鑓ヶ岳と命名。西山にいる山の主で天狗の尾根、身の程を知らぬ者が天狗に近づこうとして帰れなくなったので不帰ノ岳と命名して今に至ります。代馬岳は、実際の地図では白馬岳となっていましたが、村人達は長い間その事実を知らなかったそうです。(出典:『北アルプス白馬ものがたり』石沢 清著)
右手前にある里山は拙書でも紹介の虫倉山(1378m)。そこで虫というのは古代は蛇(龍)のことであるとか、松代藩の領地で尊崇されていたということを記しています。旧中条村の方たちが「むしくら」という非常に詳しい研究書を出されていて、拙書の記述の際も参考にさせていただきました。本では不動滝に生息するハコネサンショウウオの写真も載せています。神城断層地震で山頂の4割が崩落してしまいました。
眼下の山布施の集落。よく見ると耕作放棄地があちこちに。もの凄く山奥に見えますが、長野駅まで車で30〜40分。充分に通勤圏なのです。
やはり雨の少ない地域なのであちこちにため池があります。春になり木々が芽吹き山桜が咲くと桃源郷。
麓の最高気温は8度近くになった様ですが、茶臼山は氷点下2、3度でした。ただ無風なので寒くはありません。下ってくる時に下の茶臼山動物園からバオーンというライオン?の吠える声が聞こえてきました。買い物をして妻女山展望台へ。飯縄山(1917m)。山頂は右の頂きです。左の南峰には飯縄神社の奥宮があり、上のカットではその建物が見えます。祭神の飯縄権現(飯綱大明神)は、管狐(くがきつね)を使って術を行う飯縄遣(いいづなつかい)の仏神。山岳信仰が発祥といわれる神仏習合の神です。その姿は白狐に乗った烏天狗で、大日如来の化身の不動明王のさらなる化身といわれています。
暖かいです。地球温暖化なのかしら? いえ違います。シベリアや北アメリカではマイナス40度以下の大寒波。ドイツもかつてない大雪でEV車が大変な事になっています。日本はこのまま暖かい春になりそうですが、信州は雪不足からの水不足に悩まされそうです。千曲川の水位も低く、温泉も地下水なので湯量が激減して困っています。
■Chopin Nocturne╱Alice Sara Ott ショパンの遺作ノクターン(夜想曲)。アリス=紗良・オット。:完璧なタッチと美しさ。月光に映える青い北アルプスを想う。
●インスタグラムはこちらをクリック。ツイッターはこちらをクリック。YouTubeはこちらをクリック。
もう一つの古いチャンネルはこちら。76本のトレッキングやネイチャーフォト(昆虫や粘菌など)、ブラジル・アマゾン・アンデスのスライドショー。
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。
★本の概要は、こちらの記事を御覧ください。
★お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
茶臼山の北アルプス展望台へ。ここはグーグルマップにも地形図にも載っていません。拙書の茶臼山のページの地形図には載っています。ここから見える北アルプスを南から撮影していきます。左に蓮華岳(2799m)、右奥に針ノ木岳(2821m)。蓮華岳と針ノ木岳の間にあるのが針ノ木峠(2536m)。非常に険しい山岳地帯ですが、古くは信濃国と越中国を結ぶルートの要衝だった歴史ある峠です。一番右の小さな頂きはスバリ岳(2752m)。
ここから仁科三山。土豪の仁科氏に由来します。爺ヶ岳(2670m)。栂山・栂谷ノ峯・後立山・五六ヶ岳・爺岳・爺子岳とたくさんの別称があります。南峰と本峰の間の白沢の上部には、春に種蒔きをする老爺の雪形が見られ、山名の由来となりました。天然記念物の雷鳥も生息します。
鹿島槍ヶ岳(2889m)。山頂の右手の陰になっている谷には、平家の落人が隠れたというかくね里があり、上部の雪渓は2018年に長野県初の氷河であると認定されました。かくね里の人々は、やがて大川沢を下り鹿島川の辺りに住み、それが今の鹿島集落とか。ただ、鹿島神社には807年(大同2年)には集落があった記述があるそうで、平家追討以前にすでに集落があったことになります。戦国時代の天文年間の大地震で鹿島槍が大崩壊し、麓が大被害を受けたため、地震の神様である鹿島神社を勧請したともいわれています。ここ茶臼山からの直線距離は、約33キロです。
五竜岳(2814m)。春に武田菱の雪形が現れることで有名ですが、山頂の右下に見えています。旧字体では五龍嶽。名称は武田の領地であった御菱(ごりよう)から。右の小ピークは白岳。
仁科三山の鹿島槍ヶ岳と五竜岳。手前は篠ノ井の山布施の集落。向こうの里山山脈との間には、犀川の深い谷があります。
Wに切れ込んだ不帰ノ嶮(かえらずのけん)。右は天狗ノ頭。北アルプス縦走の厳しい場所。
白馬三山の左から白馬鑓ヶ岳(2903.11m)、杓子岳(2812m)。
白馬岳(2932.24m)。右へ長い尾根をたどると、朝日岳などを経て栂海新道は、親不知の日本海へと続いています。フォッサマグナの成り立ちと深い関係があります。糸魚川市のフォッサマグナミュージアムに行かれることをお勧めします。当ブログでも何度か紹介しています。
白馬三山の雄姿。明治時代に帝国陸軍陸地測量部が地図を作るために白馬村に訪れた時、この山々には確固たる山名がありませんでした。岳山(たけやま)とか西山とか適当に呼んでいたそうです。そんな馬鹿な話があるかと役人に怒られて、長老が集まって必死に考えて命名。雪型の代かき馬からとって代馬岳、貝杓子に似ているので貝杓子岳、長いので貝を取って杓子岳、尖っているので槍ヶ岳、しかし槍ヶ岳、鹿島槍と既にあるので駄目だと言われて白馬鑓ヶ岳と命名。西山にいる山の主で天狗の尾根、身の程を知らぬ者が天狗に近づこうとして帰れなくなったので不帰ノ岳と命名して今に至ります。代馬岳は、実際の地図では白馬岳となっていましたが、村人達は長い間その事実を知らなかったそうです。(出典:『北アルプス白馬ものがたり』石沢 清著)
右手前にある里山は拙書でも紹介の虫倉山(1378m)。そこで虫というのは古代は蛇(龍)のことであるとか、松代藩の領地で尊崇されていたということを記しています。旧中条村の方たちが「むしくら」という非常に詳しい研究書を出されていて、拙書の記述の際も参考にさせていただきました。本では不動滝に生息するハコネサンショウウオの写真も載せています。神城断層地震で山頂の4割が崩落してしまいました。
眼下の山布施の集落。よく見ると耕作放棄地があちこちに。もの凄く山奥に見えますが、長野駅まで車で30〜40分。充分に通勤圏なのです。
やはり雨の少ない地域なのであちこちにため池があります。春になり木々が芽吹き山桜が咲くと桃源郷。
麓の最高気温は8度近くになった様ですが、茶臼山は氷点下2、3度でした。ただ無風なので寒くはありません。下ってくる時に下の茶臼山動物園からバオーンというライオン?の吠える声が聞こえてきました。買い物をして妻女山展望台へ。飯縄山(1917m)。山頂は右の頂きです。左の南峰には飯縄神社の奥宮があり、上のカットではその建物が見えます。祭神の飯縄権現(飯綱大明神)は、管狐(くがきつね)を使って術を行う飯縄遣(いいづなつかい)の仏神。山岳信仰が発祥といわれる神仏習合の神です。その姿は白狐に乗った烏天狗で、大日如来の化身の不動明王のさらなる化身といわれています。
暖かいです。地球温暖化なのかしら? いえ違います。シベリアや北アメリカではマイナス40度以下の大寒波。ドイツもかつてない大雪でEV車が大変な事になっています。日本はこのまま暖かい春になりそうですが、信州は雪不足からの水不足に悩まされそうです。千曲川の水位も低く、温泉も地下水なので湯量が激減して困っています。
■Chopin Nocturne╱Alice Sara Ott ショパンの遺作ノクターン(夜想曲)。アリス=紗良・オット。:完璧なタッチと美しさ。月光に映える青い北アルプスを想う。
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もう一つの古いチャンネルはこちら。76本のトレッキングやネイチャーフォト(昆虫や粘菌など)、ブラジル・アマゾン・アンデスのスライドショー。
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。
★本の概要は、こちらの記事を御覧ください。
★お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。