名物の空っ風が一日よく吹いている、夕方pcの叩く時間だが本棚の一つにあった書籍 海平なり (海穏やかなりと読む)を何気無く手にとって見る。
丁度十二年と一ヶ月少し前の発行のサンデン株の創立者牛久保海平さんの回顧録である。 懐かしさに又拾い読みを始めてしまう、翌年亡くなった様な気がするからもう十三年忌になるかも、海平会頭と会議所専務としてのお付き合いも短いようで長いというか、内容のよく詰まったものだったと思うこのごろである。
会議所の膨大な業務と各種団体の関連行事や、特に県連会長となってからの業務打ち合わせと行動など多忙な毎日をよく一緒したものだ。
県連との行動を共にすることも多く、新井県連専務とも必然的に連絡行動共に多くなって行った。
とにかく会頭は県連会長をを受けてから五-六十の役をこなし、多忙な日々をすごしていた物だ。私のほうも四十ぐらいは役職もあり、日中友好協会や市観光協会などの設立や運営などもあり、当時の市長や助役との連絡調整など多忙を極めた、尤もそれが仕事で市から移籍したのだから止を得ない事だったが。
まあ体がいくあっても足りないとはこの事か、「受けたからには真面目にやりましょう」が会頭の何時もの言葉だった。