今か今かと待っていた庭の梅が三輪ほど今朝は開いていたが、この時間になるともう十何輪かに増えている。今日は紀元節であると言っても右よりの人間では在りません、この日になると小学生であった七十年程の昔が思い出されるだけです。
「雲にそびえる高千穂の、高嶺颪に草も木も、靡き伏しけん・・・」折角の祝日のお休みに低学年の我々はいやいや登校して、講堂の堅い長椅子に座り教育勅語や校長先生の講話を聞き、前出の紀元節の歌を斉唱して痛かったお尻を撫ぜなぜ下校することが出来るのだった。此処で本日の一番の楽しみである町長さんからのつぶし餡の白いお饅頭二個のお駄賃がもらえることだった。
この頃の境町の町長は正田虎四郎さんと言う方だったと思うが、非常に教育熱心の方だったと聴いていた。お饅頭を貰ったのでお世辞を言うのではないが、小さな町なのにプールや立派な講堂など他に無い施設を持ち、お饅頭は個人のポケットマネーだったと聞いている、今に無い立派な人だった。
昔の人は偉かったなあ、とつくづく想う昨今である。