夕方になって涼しいし明日からまた暑さがぶり返す様なのではと、二階の我が書斎と寝室等をはたきと掃除機をかけてみたが、やはり正解だった。終わってみたら流れるほどではないが背中は汗ばみ暑い暑い、温度計を見ると26℃たいした事は無いが湿度は70%動くと暑いわけだ。
パソ爺なる人が言う山瀬が吹いたための昨日一昨日の陽気がおかしいので、今日のこれでもまだ平年より涼しい。
昨日は一人娘の五十五回目の誕生日だったが、家内とこの頃に成るとあの日、昭和三十二年七月二十一日(1957年)の当日、「あの日は暑かったあー」とよく言うのだった。
あの年の関東地方の梅雨明け宣言の日の朝、生まれたのだっただから仕様がない、家内は当時扇風機ももちろんエヤコンも無く、寝ながら自分と赤ん坊を団扇で扇ぐだけだった。今から見ると隔世の感、でもいつの間にか半世紀と五年を過ぎてもうじき孫も社会人と大学生だ、こうして社会は周り時代は移り変わってゆくのだ。
地球上ではこの瞬間も災害や人間同士の争いの爆弾や砲弾で、沢山の人が死んだり傷ついている現実があり、一方では平和な生活を享受して人達がいる。国連などと云うさも理想的な機関があるようでいて、実はこの機関を作った第二次世界大戦の戦勝国の五大国の利害を守る様な制度になって居る、何時に成ったら世界が平等に話し合いが出来るようになるのか、あるいは永遠に来ないのか?、一国の議会があの騒ぎ、国連などがそう簡単に行くわけがない、人間の馬鹿さ、業の深さ、がある限り出来ないだろう。
仏教の輪廻転生、因果応報はまさにその通りを教えているのでは?