基左衛門の独り言

坂東の風上毛の空と風景をブログで皆様へ、八十爺

秋想いだす「芋串」アア食べたいー

2015-10-15 16:53:02 | 日記・エッセイ・コラム

 ここ数日毎朝ご飯が何となく滑らかで舌あたりが良い、聞くと新米との事穀屋で買ったもの何割が新米か、でもこんなに旨いとは、農家から直接とって居たときはどんなに旨かったのだろうなどと考える、なりあき・採り秋などと人は言うが秋の農産物は豊富で旨い、生きとし生けるものを育て生かす根源の物だからであろう。

 などと想っている内に急に想いだす「芋串食べたいー」などと、我々八十爺が育った昭和十年代(千九百四十年代)は戦前の昭和が色濃く残った時代だ。 だが前半は第二次世界大戦に突入前で食べ物も後半より豊かだった、六才くらいからよく通った一銭商いの店「駄菓子屋」でも商品はまだよくあった、飴、煎餅、団子、二銭菓子(半生菓子)などと、その店の特徴を出したもんじゃ焼き、えび天(赤い小エビを載せたもんじゃ焼の一種)此れはおばさんがリヤカーの店だ焼いた物や、焼き芋(大きな土べつい上に切った黄色いサツマイモを載せて焼いたもの)これにごま塩を振った物、または沢山とれた里芋の小芋を蒸かして串にさし焼いて焼き饅頭に付けるような味噌を付けた、本日の主題の芋串など、今想うと時季時季の物が在った。

 夏は1銭2銭の掻き氷やアイスクリームと言っても、(今では長崎で言うアイスクリーンと云って売っていたが今はどうか知らない、)など我われ餓鬼どもには思いで深い時季だ、焼き芋より芋串の方が旨かったのかそれで芋串の方がかったか食べた回数は少なかったような気がする、最近では秋間梅林へ十数年前に仲間十人ほどで行った時に売店で買って食べた以降お目に掛かって居ない、あの時一緒に食べた仲間のご婦人が連れてきた四-五歳のお孫さんも大きく成ったろう、だが昭和の初めに食べた小芋の芋串はもう食べられない、美味かったなー・・・

 食べたいなーと梅見に行くのもどうか、伊香保温泉の手前のかびやだったかへ行くのも考えられるが、はーてどうしたモノか…それ程の事でも無いか。